<   2012年 10月 ( 4 )   > この月の画像一覧
   目の前で見ること - デュッセルドルフの美術館1
    督促状が来ていたにもかかわらず、いつまでたっても同居人が支払いに行かないおかげで、インターネットがしばらく使えなくなっていました。
     お金にだらしない人とアパートをシェアしていると、こんなとばっちりにもあいます。ああ・・・(怒)


d0165762_186143.jpg
アレキサンダー・カルダー 『無題』(1937)

     デュッセルドルフで「出かけよう!」って思った時、美術館に行きたいなって思いました。
     ドイツの美術館では、イタリアでは見られないドイツのアーティストのコレクションが多いのではと思ったからです。

     日本では、海外のアーティストの展覧会もよく開かれるし、美術館の所有である常設の作品でも、海外のアーティストの
     ものがたくさんありますよね。
     でもここでは、まずはイタリアのアーティストのもの。もっと言えば、地元のアーティストの作品がほとんど。

     ルネッサンス期以降、イタリア美術は世界的に歴史の上でも大事なものになっているというのもあるでしょう。
     またここトリノは、20世紀初頭に起こった「未来派」や、60年代の「アルテ・ポーヴェラ」という現代美術史上でも
     重要な動きの中心地でもあったというのもあるでしょう。
     でもたぶん最大の理由は、イタリア人はイタリア人が好きだから(爆)

     結果からいえば、デュッセルドルフの美術館は日本の美術館と同様、世界中のアーティストの作品を収集していました。
     やっぱりイタリアが特殊なんだわ(爆)
     行ってみて、もう大満足!

     ひとりでじっくり楽しもうと行ってみたのが、通称K20、K21と呼ばれるノルドライン・ヴェストファレン芸術・コレクション
     (Kunstsammlung Nordrhein-Westfalen)

     デュッセルドルフにある近現代美術館で、K20とK21の2カ所に分かれています。

d0165762_18123260.jpg
ピカソ 『Still Life with Steers Skull』(1942)
その自由な変化に富んだ作風に憧れるとともに、自由奔放だっただけに
彼を恨む女性も多いというその人柄に複雑さも覚えるアーティスト。

     旧市街のはじっこにある大きく曲線を描くガラス張りのモダンな建物のK20。
     真っ白な大きな空間の階段を上っていくと・・・あるわ、あるわ。
     ピカソ、ミロ、シャガールなど、誰でも知っているアーティストの、しかも美術の本で見たことのある作品ばかりが並んでいます。

     本で見る時は、絵のモチーフや色を見るのが主になりますが、目の前で見る絵は、その大きさから受ける印象、そして筆のタッチ
     などから、こちらに訴えかけてくるもっと生き生きとした生のもののような感じを受けます。
     この人(アーティスト)は、どんな気持ちでこの絵を描いたんだろう、なぜこの素材を描こうとしたんだろう。
     しばしそんな勝手な想像の世界にひたるのが、ワクワクして楽しくてたまりません。

     しかもそれらは本で見たことがあるものがほとんど。
     ああ、これだったのか。こういう風だったのか、と、目で見る感動を覚えます。

     いろいろな美術論がありますが、私にはやっぱり「好きかどうか。興味を引かれるかどうか」がいちばん大事。
     全体から受ける雰囲気が好き、その線が好き、色が好き。
     好きにもいろいろありますが、何か「好き」を感じたら、それに向かってのめり込む、その雰囲気に浸りきるのが私の見方。
     その絵が好きでもない人には、何をそんなに時間をかけてみるものがあるのかという感じでしょうが、じっくりじっくり
     時間をかけて観るのです。
     でも気持ちにあまり引っかかってこないものに対してはとっても淡白。ささっとそばを通り過ぎてしまいます。
     だからひとりで観に行く方が気が楽かな。同行人にこのじっくりをつきあわせるのは悪いしね。
     もちろん同じ趣味の人と、あれこれ言いながら観るのもとてもおもしろいですが。

d0165762_1812585.jpg

     展示室の途中に、こんな場所がありました。
     何が展示してあるのかなと上ってみると、そこは庭が見える窓に向かって座れるようになっている小さな空間で、そこには
     この美術館のカタログが置いてありました。
     観ている間に興味がわいた絵を調べることができるのですね。

     鑑賞の途中でふと絵から目をそらせ、窓の外の緑を見ながら一息ついたり、今観たものを頭の中で考えてみたり。
     そんな場所があるのはいいですね。
     カタログは、絵もとても大きく印刷されていて説明もかなりしっかり目の分量だったので、ものすごく欲しいと思いましたが、
     残念ながらドイツ語版のみ。
     せめて英語の併記ががされていたらなあと、とても残念でした。

     真っ白な仕切られた空間をいくつも回って、同じ雰囲気のままの階段を下りていくと、広い広い空間へ。
     その左手の大きな壁に、ジャクソン・ポロックの縦3メートル×横5メートルはあるでしょうか、そんな大きな白黒の作品が
     かかっていました。

     ジャクソン・ポロックは、不安定な精神状態、アルコール中毒をもちながら、その時代に衝撃的な作品を発表し、突然の
     自動車事故で亡くなるという、まさにその時代らしいアーティストの人生を歩んだ人。
     エナメルをつかったドリッピングなどのアクション・ペインティングで有名ですね。

d0165762_18132038.jpg
ジャクソン・ポロック 『No. 32』(1950)

     今回、ポロックの作品を目の前で見て、正直言って、想像以上にその迫力に圧倒されました。

     以前、彼が床一面に敷いたキャンバスの上を、エナメルの缶をもち、刷毛などでエナメルを垂らし、飛ばしながら、作品を
     つくっているところを延々と写したビデオを見たことがあります。
     その描き方を頭ではわかっていたのですが、こうやって実際に絵を目の前で観た時、全体が見渡せないキャンバスの上での
     作業で、この躍動感をどうやってつくったのだろう、どうしてこんな全体的なハーモニーやリズムをつくれるのだろう。
     そんなことばかりが頭の中でぐるぐるしました。
     また少し前から私には、彼のこの描き方が、日本の書道に似ているものがあるような感じがしていて、
     ちょっと気になっていたのです。

     私は小学生から中学生までたった10年ほどですが、書道が好きで好きで、楽しく書道教室に通っていた時期がありました。
     真っ白な紙の上に、気持ちを集中して、えいやっと、思った字を書く。
     「気持ちを落ち着けて集中しないと、いい字は書けないよ」と何度も教えられました。
     中学生になって楷書から行書、草書を始めた頃、たしか和歌を書いていた時には、こういうことを言われました。
     「自分がどんな字を書いているか、意味をわかって考えて書いている? 文字の形をなぞっているだけではダメなんだよ」

     書道では、筆の動かし方、墨のつけ方や分量、また紙の性質によって、自分が予想もしていなかった線が描かれることもしばしば。
     それはいくら経験を積んでも100%コントロールできるものではないようにも思えます。
     しかし、その経験から来る予測や意図を持ってしてもコントロールできない偶然性をも味方につけて、その偶然性と遊ぶというか、
     それを楽しむこと、また書くものに対する気持ちがあって初めて、書道として成り立つのではないかという気がするのです。
     そこには偶然性、そして描いているものに対する気持ちが不可欠だという気がしてなりません。
     そういうところが、ポロックの作品の作り方に似ているような気がするのです。

d0165762_1814068.jpg
ジャクソン・ポロック 『No. 32』(1950)部分

     実は以前、今通っている美大の教授に、その話をしてみたことがあります。
     今いるところでは東洋と西洋の境目がいつもはっきりと意識されていて、私にはどうしても東洋人としての話題が振られるので、
     自然にそんな話になったのだと思います。
     そのときの教授の反応は、「ポロックは、(東洋的どころか)とても西洋的な画家だよ」でした。
     そして「"日本的な"ということを言われるアーティストには、フランツ・クラインがいるんだよ。彼は日本の書道に影響を受けた
     んだ」と。

     確かにこの美術館にある彼の作品も、そういわれればそんな風に見られるもの。
     しかし彼は、その形を描くために、スケッチしたものをプロジェクターでキャンバスに投影して描いていたといいます。
     それを教授から聞いたとき、「書道とはまったく違うものだな」と思わずにはいられませんでした。

     書道の楽しみのひとつに、真っ白な紙の上に最初の墨を置いてから、間髪入れずにスピーディに、考えているような、考えて
     いる暇もないような感じで筆を動かし、一気に書き上げていく緊張感があるように思います。
     それがポロックにもあるような気が私にはしているのです。
     しかし書道をまったくしたことがない教授に、ポロックのドリッピングの手法は、書道をする時の偶然性を楽しむどきどき
     ワクワクするような緊張感に似ているでしょうとは、言葉では伝えられても、気持ち的にピンと来るように話すことは
     できないでいました。

d0165762_1815979.jpg
真ん中に見えるのがフランツ・クラインの作品

     そして今回、そのフランツ・クラインの作品を見つけ、もう一度、彼の絵をまっさらな気持ちで観てみようと思いました。
     確かに書道に影響されたと言われるのがわかるような黒い線で描かれています。
     しかしその線の中には、いくつもの筆あとがあって、それがそれぞれ違った表情を作り出しています。
     ふとキャンバスの片隅を見ると、ベージュ色の一片のスペースが。
     それを見つけた時、やはり彼の絵は絵画であって、書道ではないんだ。
     彼は明らかに絵を描こうとしていたんだ、ということが、すとんと腑に落ちた、わかったような気がしました。

     私たち日本人は書道を観るとどうしても、それは何という字なんだろうと字を追っていこうとします。
     しかし日本の字を知らない外国人は、それをただの形、模様として見るのですね。
     フランツ・クラインも、書道の作品を見て、その白と黒のコンポジション、流れのようなものに強く惹かれたのでしょう。
     彼にとってはそれは筆運びではなく、あくまでも線、白と黒の分量などの配分の美、形としておもしろいと思ったんだな。
     だけど全体のコンポジションには、あのベージュの一片がなくてはならなかったんだ。だって、彼が描いているのは
     書道のまねではなく、あくまでも抽象画という絵画であったのだから。
     あのベージュの一片がそれを証明しているようで、彼の「これは絵画なんだよ」と言っている言葉のようで、
     私にはとても美しく、そして強いものに思えました。

     銅版画で抽象を始める前は、私にとって抽象画はただ見る、ただ目に映しているようなものでした。
     それは自分とは別世界の人がつくっているもので、見ても「ふ~ん」か「よくわからない」というもの。
     それが抽象を始めてから、自分が描くときに考えること、アイディアを探しているときに考えること、実際に手を動かして
     いるときに考えることが具体的に出てきたからでしょう。
     今まで別世界の人のものだったのが、自分の世界に入ってきたというか、それをつくっていた人を想像するように
     自然になってきました。
     それは自分でも、まったく思いがけない気持ちです。

     偶然にもこの美術館では、私が書道に描き方が似ているのではと思っているジャクソン・ポロックと、書道に影響を受けたと
     言われているフランツ・クライン、この2人の作品が同じ展示室にありました。
     左手にはポロック、そして右を見るとクラインというポジションを見つけ、そこに15分、20分ほども立っていたでしょうか。
     右を見たり、左を見たり、時々それぞれの作品に近寄ってみたり。
     そんなワクワクした思いを巡らしながら、ひとり妄想の世界で遊ぶ、至福の一時でした。

d0165762_18153097.jpg
美術館にいると、床も抽象画みたいに見えてくる(笑)

     最後の展示室に入ってから知ったのですが、この美術館では、受付で氏名や連絡先を指定用紙に記述するとシールがもらえ、
     これを洋服などに貼っておくと、館内で自由に写真が撮れます。
     もちろんこれを知ってから、再度受付に行きシールをもらい、もう一度館内をゆっくり一巡しましたよ。
     最後にはもう一度、ポロックをじっくり観て。

     この美術館だけで、4時間ぐらいいたのかなあ。
     ああ、ここにきてよかった。本当に楽しかった♪
     本物を目の前で観るということは、本当に強く、そして何よりも豊かな情報や感情を与えてくれるものだなあと感じた時間でした。
     
[PR]
by sakanatowani | 2012-10-28 18:27 | アート art | Comments(12)
   マロニエ、注意!
d0165762_1751056.jpg

     朝は10度ぐらいと寒いけど、昼間は20度ぐらいの今日この頃。
     冬が近づいてきた印のどんよりした灰色空、雨模様も増えてきたけど、今年は「秋だな~」っていう期間が
     長いように思います。
     緑が少ないうちの近所だけど、土曜の仕事に出かける時は、緑の公園を横切って、川沿いの緑が見渡せる橋を
     ちょっとゆっくり目に渡り、ほんの5分、10分ほどだけど、これから紅葉が始まるこの時期を楽しむように
     しています。

     以前アイスクリームの樹としてご紹介した街路樹マロニエくんたちもそろそろ冬支度。
     とげとげのついた丸いイガがはじけて、ごろんとした膨らんだ栗のような実を落とし始めました。

d0165762_177539.jpg

     この実、ぽとん・・・ぽとん・・・なんて落ちるのなら、ちょっと物寂しい秋のイメージにぴったりなので
     しょうが、実際は、ボトボトボト!がんがんがんがん!!っと、ものすごい勢いで落ちてきます。
     以前、屋根がついたバスの停留所にいたときに、実がいっせいに落ちてきたことがあったのですが、
     実が停留所の金属の屋根にあたって、どどどど、どどどど、がんがんがんがん!がんがんがんがん!っと、
     ものすごい音。
     あまりの勢いに、そこにいた他の人たちと、ひゃ~!と、びっくりしたことがあります。

d0165762_1772834.jpg

     そんなマロニエの街路樹の下、こんな道路標識を見つけましたよ。
     「秋季には栗落下」

     この街は基本的に路上駐車。有料の駐車場も、街路樹下にずら〜っとあるのです。
     だから秋には、上からマロニエの実がバラバラと落ちてくるわけで・・・。
     あの実のすごい落ち方を見ていると、その下に車なんて置いていたら、
     運が悪ければボコッと屋根がへこむんじゃないかしら。
     そんなわけで、この注意の道路標識があるのかな。

     シカ注意、クマ注意などの標識は知ってるけど、栗(マロニエの実)注意っていうのもあるんだね(笑)

d0165762_1783432.jpg

     先日歩いていたら、こんな実も見つけましたよ。
     これは柑橘類の実だと思うんだけど・・・。

     ゆずの実ぐらいの大きさで、ボコボコした皮に、桃のような産毛がおおっています。
     においをかぐと、ハッサクのようなさわやかな香り。
     食べられるのかな〜。でも鳥もつついてない、誰もとらないまま実がたわわになってる。
     ということは、食べられないのかもしれません。
     
     いろいろな実が見られる秋のお散歩。
     散歩をしようとわざわざ時間をとろうとすると難しいけど、ちょっとバスを早めに降りて歩いてみよう。
     これからしばらくは楽しめそうです。

                               イラスト中のフォントは、あんずもじを使わせていただきました。     
[PR]
by sakanatowani | 2012-10-09 17:11 | 季節のこと season's | Comments(6)
   あ、オクトーバーフェストか!
d0165762_0275159.jpg

     「え、何?!なんで民族衣装がこんなにいっぱい?!」
     8月の終わり、デュッセルドルフのデパートを妹と歩いていたら、こんな景色にぶつかった。
     「ああ、オクトーバーフェストだからね。そういわれれば、こんなのドイツだけかもねえ。毎年のことだから
     気づかなかった」と妹。

     デパートの1階、化粧品や時計、万年筆、文房具などがある階の真ん中あたりに、特設コーナー!といった感じで、
     どわ~っと集まった民族衣装。
     それを着るマネキンたちの後ろには、わらのブロックなんかまで飾られたりして、(私から見ると)異彩を放って
     いました(笑)

     オクトーバーフェストといえば、ミュンヘンを発祥とするビールの祭典。
     ビールといえば、ミュンヘン、札幌、ミルウォーキーといわれた時代を経て(笑←これを知ってる人は同年代?)、
     今では世界の至る所で行なわれてますね。
     wikiによると、「10月の第1日曜日を最終日とする16日間」
     ってことはまさに今!
     世界中で、何百万人の人がビールに酔いしれてるんだろう。
     もちろんヴルストも一緒にね。
     アルコールアレルギーの私は、会場の匂い、ビールくさい息だけで、もう効果てきめんなこと間違いなしだろうけど(泣)

     それにしてもね、このために、民族衣装を着る。しかもそれを毎年じゃなくても数年おき(?)に買い替える
     なんてこと、想像もしてませんでしたよ。
     しかも8月末にもうデパートの、しかも1階に特設会場があるなんて!

     興味津々で見てみたら、下着からアクセサリーまでそろっています。
     下着、というのは、あの衣装を着るためにぐっと胸を持ち上げるためのボディスーツのようなものですよ。
     そしてアクセサリーは、エーデルワイスやブレッツェルをモチーフとした、ネックレスやイヤリング。

     へ〜、エーデルワイスがこの衣装に合うモチーフなのか〜と思いながら、ブレッツェルのイヤリングには、
     ちょっと心ひかれました^^

d0165762_029589.jpg
こっそり隠し撮り状態だったので、変な写真でごめんなさい

     デパートを出て、デュッセルドルフの目抜き通りを渡ります。
     するとそこにあるデザイナー・ブランドのブティックのウィンドーも、民族衣装のマネキンさん。
     妹は、「うわっ。ブランドからも出てるのか~。オクトーバーフェストの中継をするタレントたちは、
     こういうところで毎年買うわけね~」とつぶやいてます。

     そうか、そうか。ドイツの秋の祭典であるオクトーバーフェストはテレビで中継されるわけですね。
     そこに欠かせないタレントさんたちは、もちろんフェストにはこの衣装を着るわけで、しかも毎年同じものを
     着たりはしないでしょうしね。
     だからこういうのもあるんだ。デザイナー・ブランドの民族衣装。考えたことなかったな。
     あ、でも、ブランドとコラボの浴衣とかあるし、そういうのと同じってことですね〜。

     デパートでも、妹が別の買い物の支払いをしてる間だけで、何人かの人が衣装の試着を嬉しそうにしてるのを
     見かけました。
     タレントだけでなく、一般の人も、この衣装を用意しながら、待ちに待ってるお祭りなんだなあ。
     確かにお祭りの雰囲気にどっぷりつかって楽しむなら、衣装もそれにした方が、ずっと楽しいよね〜。

     みなさんの住んでいる国、地方にも、こういう風に、衣装をそろえて待つようなお祭りがありますか?
     私は今も、今まで住んだところも、そういうお祭りがなかったので、このオクトーバーフェストの準備が珍しくて
     楽しかったのですが、昔からの大きなお祭りがあるところでは、こういうことも、当たり前なんでしょうね。

d0165762_0323965.jpg
けっこうカラフルな色のものも売られてるんですね

     ところで!
     ↑に書いた、「ミュンヘン、札幌、ミルウォーキー」って、たぶんビール会社の広告だったんだろうけど、
     そういえば、CM自体に記憶がないなあって調べてみました。
     そしたら、サッポロビールの1959(昭和33)年CMだそうですよ!
     いくら何でも私は生まれてないなあ。
     でもなんでそんな言葉知ってんだろう・・・と、頭の中の記憶の引き出しをかき回してみました。
     
     たぶんね、小学校か中学校の社会の先生が、「ミュンヘン、札幌、ミルウォーキー♪っていうけど、そこが
     ビールの生産量の世界1~3位じゃないんだぞ~」とかなんとか授業で話してくれて、その歌の部分だけが
     頭に残ってしまったのかと。
     だって、社会のテストで答えが思い出せず、「そういえば、先生がああいってたなあ」って、その3都市を書いた
     記憶もあるのに(笑)、調べてて見つけたCMの音楽を聴いてみたけど、まったく覚えがなかったのです。
     授業で教えてもらったことはまったく覚えておらず、なのに見たこともないCMの文句だけは覚えてるって・・・
     コピーの力はすごいなあ。
     そして先生、ちゃんと授業で教えてくれていたのに、コピーしか覚えてなくてごめんなさい(笑)

     話がずいぶんそれてしまいましたが、ビールが大好きな方、楽しいオクトーバーフェストを!
[PR]
by sakanatowani | 2012-10-05 00:46 | 旅行 trip | Comments(8)
   宙ぶらりんでも平穏に日々は流れる
     先日図書館のDVDコーナーに、『マイレージ、マイライフ(原題 Up in the Air)』が新しく入っていたので観てみました。

マイレージ、マイライフ [DVD]

パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパン


     ジョージ・クルーニーの映画だし、観た人も多いと思うのであらすじは省きますが、いろいろなことが起こって
     最後、クルーニー扮するライアン・ビンガムが、またいつもの自分の仕事に向かうため空港の窓から外を見る
     シーンを観ながら、ああこの人は、自分でもはっきりどうしようともまだ決めてもいないようなモヤッとした
     気持ち、でも確実に以前とは違う気持ちを抱えながら、表面上は穏やかにまたふつうに自分の仕事をしながら
     しばらく過ごしていくんだな、と思っていました。

     私たちの毎日は、歯を磨いたり、ご飯を食べたり、仕事をしたり、当たり前のことが起こりながら、その中で、
     時々ちょっとした嬉しいことや悲しいことなどのイベントが起きて過ぎていきます。
      でもその裏で人は、重要なことや小さなことに対して、何かを変えたい、変えよう、でもまだどうしていいか
     わからない、探し続ける、考え続ける、そういう宙ぶらりんの気持ちを持って暮らしているものではないのかな。
     私はこの映画の最後に、そういう宙ぶらりんな気持ちを持ちながら、平和に日々を過ごしていく私たちを
     観ているような気がしました。

     現代では、人と直接声で表情で仕草でコミュニケーションをする以外にも、他人に自分を知らせる手段があります。
     ブログを書けば、ツイッターでつぶやけば、フェイスブックに書いてみれば、自分の思ったことが表に見える。
     そうすると、他の人にはその人が何を考えているか、何が起こっているかがわかるのです。
     そして自分でも、他の人にわかってもらったような、自分が一歩前に進んだような気もするのです。

     でもその裏に、まだはっきりしない、まだ行動するとこまで来てない、でもすごく重要で早く解決したい
     切羽詰まるほどの大きな気持ちを持ち続けていたりもするんだな。
     そしていつか時がきたら、アイディアがわいたら、勇気が持てたら、ブログに書いたり、ツイッターや
     フェイスブックに書く出来事として、他の人に知られることになるんだな。
     それまではまわりから見たら、毎日を平穏に、いつもと変わらないように送っているように見えるんだね。

JUNO/ジュノ <特別編> [DVD]

20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン


アラフォー女子のベイビー・プラン [DVD]

アメイジングD.C.


     そんなことを考えたのは、この映画のDVDのケースに、この映画は以前観た『Juno/ジュノ(原題 Juno)』
     同じ監督だとあったから。
     そして同時に借りた『アラフォー女子のベイビー・プラン(原題 The Switch)』それにしてもなんてセンスの邦題!も、
     たまたまこの『Juno/ジュノ』と同じ製作総指揮者という記述があったせい。
     この3本の映画は考えてみたらどれもが、そういう普通の人のまだ表に出ない宙ぶらりんな気持ちの時期が
     描かれているなと気づいたから。

     映画やドラマって、何かが起こらないと話が進まない、シーンをつくれないもの。
     でもこの3本には、登場人物のこういう宙ぶらりんな時期を感じられる場面があるんです。
     宙ぶらりんで特に目立った気持ちの変化や行動がなくっても、その時間があるからこそ、次の行動が起こせたり、
     次のステップに進めることってふつうにあるんだよね。

d0165762_332728.jpg

     ずっとモヤモヤしていて、最近集中的に考えていた自分のイラストについて、やっとこさ、
     ああ、こうしたかったのかってわかりました。
     だからあとは、それを実行に、試行錯誤に移すのみ。
     行動に移せるとこまで来たらもう楽だよね。

     もう何年も、自分の中でとても重要だけど動けるとこまでいけないことがある中、もうひとつの自分に大事な
     イラストのことで動けるとこまで来た。そしてその事実は他の人にわかりやすい伝え方ができるとこまで来た。
     でももうひとつの無視できないモヤモヤは、私のこれからを左右するもっともっと重要なこと。
     イラストについてのこの一歩は大事でやっと到達したものだけど、もうひとつのモヤモヤに比べたら、
     ずっと解決が楽なものだったなあ。
     そんなことを思うときにこれらの映画に出会ったから、こんなことを考えたのかな。
[PR]
by sakanatowani | 2012-10-01 03:09 | ひびのこと diary | Comments(4)