カテゴリ:映画、本 film&book( 12 )
   『風きって進め 魔法の足こぎ車いす』
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風きって進め 魔法の足こぎ車いす

鈴木堅之 / 日本評論社


     面白い本を読みました。
     はじめに目にしたのは、新聞の書評だったかな。

     「足こぎ車いす、か~・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・えっ、車いすで足こぎ?!」
     これがはじめに私が思ったこと。
     だって車いすって、自分で立てなかったり、足が動かないから使うものだと思ってたから。
     なのにこの車いすは”足こぎ式”らしい。
     どういうことなんだろう?
     そのときはこれだけ。でもそのひと月後ぐらいに図書館でこの本を見つけたので、早速借りてみました。

     読み終わってみると、ふだん車いすを身近に見ることも触ることもない私にとっても、この本をひとくちに「足こぎ車いすの開発物語」といってしまうのは
     乱暴だなと思えるような読み応え、心に止まるエピソードや言葉がいくつもある本でした。

     さて、足が動かないはずの人が使う”足こぎ”車いすって、どういうことなんでしょう。

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写真は本書籍裏表紙よりお借りしました。

     写真はこの本の主役、足こぎ車いすのプロファンドです。
     足を乗せるペダルがありますね。
     従来の車いすは、椅子部分の両脇にある車を手で回して移動するわけですが、このプロファンドは、このペダルをこいで移動するというわけです。

     疾患やその後遺症で足が麻痺している人が、はたしてペダルをこげるのか・・・。






     なぜか、こげるのだそうです。






     なぜか、って・・・?





     医学的にもわかっていないそうなんです。



     現在のプロファンドの原型となる足こぎ車いすを初めてリハビリ中の方に試乗してもらったとき、その直前まで車いすでしか移動できなかったその
     人が、自分の足でペダルをこいで移動していたそうです。嬉しそうに。
     リハビリを研究している人も、リハビリ現場の人も、患者さんの家族もそんなこと想像もしていなかったそうです。むしろ「足こぎ」だなんて無理
     だと思っていた。
     でも現実に、半身麻痺で歩けないその方が、この足こぎ車いすでは自力でこいで移動できる。
     ペダルの惰性で麻痺した方の足が上がったわけではないそうです。
     ペダルをこぐためには、自分で足を上に上げなければこげない。でもその足は麻痺している。
     でも事実できるのだそうです。
     なぜそれができるのか、医学的にもわかっていないそうなんですよ。
     でもできる。それが事実。

     不思議でしょう?
     ここを読んだとき、私はただただ感動してしまいました。
     人間の体って、私たちだけでなく、専門に研究をしている人にもまだわからない「力、能力」が備わっているんだなあって。


     自分の可能性に対する限界を無意識下で(でも頑固に)持っているのに気づいて、この数年、それを振り切ろうとなかなか手こずっていました。
     でもこの部分を読んだ時、ちょっとはっとしたんです。
     自分でわかってるとか、そう思えてしまうとかって決めつけては、自分の心や体がかわいそうだな~って。私たちがまだ知らない可能性が、もう
     備わっている。
     それが事実なんだな〜って、おぼろげながらも感じました。

     実は、はじめは、東北大学での全く別の研究(電気信号を使って筋肉を動かすことで動かない足を動かせないだろうかという研究)から始まった
     という、この足こぎ車いすプロジェクト。
     思いがけない事実の発見、思いがけない出会い、そして何度も何度も、もうそれは「とにかくやるのだ」という意思の元のあきらめない行動を積み
     重ねて、現在の形に到達したという経緯が、言葉少なに、でも確固たる思いを含んだ言葉で語られます。


          この間、足こぎ車いすの製品化が難しかったのは、「今までの常識に立ち向かう勇気」 「批判や障害に
          耐える勇気」「無理な時は、一旦退く勇気」のあり方いかんだ。
          (中略)
          では、なぜ「退く勇気」が必要なのか。それは、前進したいと考えるあまり、誘惑に負けて退くタイミ
          ングを見失ったり、逃してしまうからだ。
          (中略)
          もしも、当時研究を一旦中断して計画を練り直していたら、違う方向から製品化のアプローチがで
          きたかもしれない。                          (本文からの抜粋 P136-137) 
               

     何かをやろうともがいて意気消沈したり、不安で混乱したり、でも立ち上がりたいと思ったりしつつ空回ったりしている私には、「本当にそうだな
     あ」と納得するとともに、先輩からの優しい言葉のようにも読めました。


     私はこんな風に読みましたが、ご自身がリハビリに励んでいる人、身近にリハビリに励んでいる方がいる人、何かをやろうと進み続けようとし
     ている人、誰かを支えたいと思っている人、そういう人みんなの心に響く本だと感じました。
     

          心の満たされ方はいろいろだが、できないことに執着しても心は満たされない。(中略)
          「頑張って」なんて無責任な言葉もいらない。今、頑張ってる人に、まだまだ足りないもっと頑張れ
          というのは酷だ。人は心が満たされれば十分頑張れる。
          心が満たされるためには、心に寄り添った何かが必要だ。心に寄り添った何かとは、泣きたい心を
          酌んで、見捨てはしないというまなざしで、未来を見られるように励ますことだ。
                                       (本文からの抜粋 P95)
                                                          


     足こぎ車いすプロファンドについては、こちらからご覧いただけます。
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by sakanatowani | 2015-06-06 11:13 | 映画、本 film&book | Comments(4)
   THIS IS NOT MY HAT
     ※追記あり
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     昨年の3月、絵本の見本市でこの絵のポスターを見かけてすぐ、「読んでみたい!」そう思った。
     でも英語圏の絵本のようで、イタリアでは手に入らないだろうなあと思っていたのだ。

     探していたのはどうやらこの本。
     追記:うっかり本の原題を書き忘れてました。ごめんなさい〜(>_<)。

This Is Not My Hat (Irma S and James H Black Honor for Excellence in Children's Literature (Awards))

Jon Klassen / Candlewick


     それから半年。日本にいる。
     先日ふと、「あの本、図書館にあるかな?」と思いついて探してみたら・・・


     あったよ〜!!!
     しかも日本語訳はこんな題。

ちがうねん

ジョン・クラッセン / クレヨンハウス


     日本語訳は、絵本作家の長谷川義史さんが関西弁でしています。


       このぼうし ぼくのと ちがうねん。
       とってきてん。


     で始まるこの本。
     
     お話しは単純。
     ほかのさかなから帽子を盗んだ小さなさかな。逃げてます、逃げてます・・・
     ほのぼのとしながらも、スリリングな展開。ハラハラ、ドキドキ。
     そして最後は?!


     すごい! 傑作! おもしろ~い!!!
     なんといっても、文章と絵とのリンクが秀逸!
     スピーディで、ぐいぐい引き込まれて・・・最後は、ぽわ〜ん・・・。
     私好み♪

     なるほど、このお話しだから関西弁訳なのか。
     大丈夫。関西弁を知らない人でもわかるような上手な関西弁訳ですから。

     2013年にコルデット賞を受賞してる本なので、あなたのお近くの図書館にもあるかもしれませんよ。
     調べてみたら、英語と日本語訳のほかに、ドイツ語、オランダ語、イタリア語、スペイン語、中国語、韓国語訳があるようです。

     頭の中がごちゃごちゃしてるとき、これを読めばポーンと別世界に放り込まれて気分すっきり、かも。
     読み終わったとき、誰かと話したくなる、かも。
     それとも、ひとりでいろいろ想像して楽しくなっちゃう、かも。 

     眉間にしわを寄せないで、らく〜な気持ちで読めば、大人もすご〜く楽しい本


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by sakanatowani | 2015-01-19 10:19 | 映画、本 film&book | Comments(6)
   ビロードうさぎ

ビロードうさぎ

マージェリィ ウィリアムズ / 童話館出版




     『ビロードうさぎ』を読みました。
     昔々からあるお話しなので、読んだことのある方も多いかも。

     私には子どものころ、大事にしていたおもちゃがありました。
     それは、赤ちゃんぐらいの大きさのピンクのクマの形をして、ちょうどクマのおくるみを着た赤ちゃんのように顔の部分だけ
     塩ビでできた人の顔がついたもの。
     クマなのか、人間なのかもわからないのですが、私の子どものころはこういうおもちゃってよくあったのです。
     どうやって私のところに来たのかは知らないけど、私の最初のお友達。赤ちゃんの時から一緒だった子です。
     私はその子に名前をつけたり、とりたてていつも一緒につれていたわけではないのですが、それはいつも私のベッドの中に
     いて、時々ごっこ遊びに参加したり、いつも近くにいるってことが私にとって安心できる存在でした。

     ところがある朝小学校に出かけようとすると、うちの前に出してあるゴミ袋の上に、この子が乗っているではありませんか。
     私は慌ててその子を抱き、いえに戻って母に「なんで捨てるの?!これは捨てないで!」と一生懸命頼みました。
     もうすごく古ぼけて、ピンクではなくほぼ灰色になっていて、縫い目も裂けて、何度も自分で針と糸で縫ってなおしている
     ものでした。
     それでも私には大事な子でしたから、その突然の母の「捨てる」という思いつきに、ただ驚き、抗議したのです。
     私はその子を自分のベッドに戻し、その子はその日無事、私のベッドでまた寝ることができました。

     それなのにその数日後、今度は学校から帰ってくると、この子が見当たりません。
     大慌てで母に聞くと、私が学校に行っている間に母が捨ててしまったというのです。「汚らしいから捨てたかった」と。
     私が前にあんなに抗議してたのに・・・。
     もちろん私は大泣きです。
     でも私をいちばん苦しめたのは、その数日前にゴミ袋と一緒に捨てられてるあの子の姿。
     助けてあげられなかったという後悔と罪悪感でした。
     その情景とその気持ちは、大人になってもほんの時おりですが私に訪れて、かわいそうなことをしたなという気持ちに
     させていました。

     『ビロードうさぎ』では、お話しの最後の最後に、捨てられてしまったうさぎのところに妖精があらわれて、
     「子どもに心から大切にされたおもちゃは、ほんものになることができるのですよ」
     と、うさぎに魔法をかけ、ビロードうさぎは今度こそ、ほんものの生きたうさぎになるのです。

     よかった。

     そこまで読んだ時、私は心の底からホッとしました。
     もしかしたら、私のあの子も、魔法でほんものになることができたかもしれない。
     そんな気持ちになったのです。
     いい大人がおかしいかもしれませんが。
     
     この本、実は別のバージョンの本を描いたイラストレーターに興味があって、今さらながら読んでみようと思ったのですが、
     あいにく図書館にはこの本しかなくて、この本に巡り会ったのでした。
     こちらのほうがはじめに日本で出版されたものだそうで、翻訳家の石井桃子さんの文章は私の読書の原点でもあるので、
     いい機会だと手に取ったのですが、こんなふうに長年気になっていた気持ちを救ってくれる本になるとは。
     こういうことがあるから、やっぱり絵本ってすごいなあと思うのです。

     このお話しの最後の最後、うさぎはあのぼうやに出会うのです。
     そしてもう大きくなったあのぼうやは、「やあ、きみはぼくが昔持っていたうさぎにそっくりだなあ」って言うんですよ。

     私のあのクマの子も、いつか私と出会うのでしょうか。
     そのときは、笑って話したいなあと思うのです。

     『ビロードうさぎ』。大人になっても、いろんなことを感じさせてくれるお話しです。
     機会があったら、一度ゆっくり読んでみてください。
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by sakanatowani | 2014-12-06 11:19 | 映画、本 film&book | Comments(6)
   つかの間の冒険
     ずいぶんご無沙汰しています。
     ちょっと冒険に出ていました。ふふふ。

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     “解決が難しいことに向かっていて疲れたら、私はつかの間、想像の世界で冒険するの。
     そこから帰ってきたら、またその問題に立ち向かう元気が出てくるものよ。”

     そう言っていたのは、大人になった(赤毛の)アンだったか。上記のセリフは私の曖昧な記憶から探ったもので、きちんとした引用ではありません。

     暗いトンネルの中を一生懸命前に進む。しかしそれが迷路になっていて理解不能だったり疲労困憊したり。
     想像の世界に行けるほど心穏やかになれない。
     そんな今の私をやすやすと冒険に連れて行ってくれるのは、冒険小説。
     以前からご紹介したいなと思いつつ、なかなか文章をまとめられない『ラウラの冒険~黄金の羅針盤』の作者、フィリップ・プルマンの
     『サリー・ロックハート』シリーズがそれ。

マハラジャのルビー―サリー・ロックハートの冒険〈1〉 (創元ブックランド)

フィリップ プルマン / 東京創元社



     ヴィクトリア朝時代のロンドン。16歳のサリー・ロックハートは運送会社を運営していた父を船舶事故で失い、一人で生きることを
     始める。しかし思いがけない事件に巻き込まれ・・・。

     物語は、サリー16歳の1872年が舞台の『マハラジャのルビー(原題:The Ruby in the Smoke)』から始まり、その5年後の『仮面
     の大富豪(原題:The Shadow in the North)』、そのまた3年後の『井戸の中の虎(原題:The Tiger in the Well)』、そして外
     伝的な『ブリキの王女(原題:The Tin Princess)』へと続く。

     サリーという一人の女の子の成長物語というよりは、その時代その年の出来事や社会風俗をうまくからめながら、天涯孤独になった彼女
     が、ひょんなことからであった仲間たちと、持ち前の勇気と行動力で、自分の前に立ちはだかる問題に立ち向かっていく冒険推理小説。
     そこにはいわゆるきらびやかな宝石やドレスのヴィクトリア朝ではなく、そんな貴族文化とは縁のない人々の暮らしが見える。
     また、当時のロンドンの細かい描写も各所にあるので、ロンドンに詳しい人には、その部分もおもしろく味わえるのではないかしら。

     先日読み終わったシリーズ第3弾の『井戸の中の虎』では、サリーは自分には思い当たりもしない誰かの策略で、生活のほぼすべてを失
     うという窮地に陥ります。
     子ども向けの本なんだけど、その心情に今の自分を重ねあわせて、思わず「サリー、この窮地にどう突破口を開くの?!」と、まるで自分
     のことのようにハラハラしながら応援しつつ読み進めちゃいましたよ。
     私もサリーのように、雄々しく立ち向かわねば!

     『ラウラの冒険~』のような哲学的な背景はないこのサリー・ロックハート・シリーズ。ただただドキドキ、スカッと楽しめますよ。
     原書は英語なので、英語圏の方も手に入りやすいのじゃないかと思います。
     つかの間の冒険に出たい人におすすめですよ!

     
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by sakanatowani | 2014-10-01 11:41 | 映画、本 film&book | Comments(4)
   ウルスリのカップ
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     先日、妹からこんなカップをもらいました。
     届いた小包を開けたとたん、「え〜?! わ〜い! ウルスリのカップだ〜!」と叫んじゃった。


アルプスのきょうだい (岩波の子どもの本)

ゼリーナ・ヘンツ / 岩波書店


     実はこの絵柄、子どもの時から大好きだった本『アルプスのきょうだい』に、スイスのイラストレーター、アロワ(アロイス)・
     カリジェが描いたもの。
     子どものころからただただ好きだったのですが、大人になって、しかもヨーロッパに住むようになってから、彼がスイスで有名な
     イラストレーターだと知りました。

     かなり前スイスの友人のところに遊びに行った時、偶然、彼女の家が、カリジェが生涯住み、その美術館もある村の近くだったの
     で、喜び勇んで行ったこともあるのです。
     彼の美術館といっても、本当に小さな山小屋の2階に、彼の絵が飾られているだけという質素なもの。
     だから、グッズが売られてるなんて、このカップを見るまで知らなかったのです。

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     さて、私がなんでこのお話しをこんなに好きなのか?
     それはもちろん、食べ物に関係あるんです(笑)

     山の子ウルスリは、村のお祭りでスズをならしながら歩く行列に参加する予定。でも・・・。
     ウルスリの勇気ある冒険のお話し。

     このお話しの最後に、お母さんは「むしたてのクリにクリームをいっぱいかけた」晩のごはんを出してくれるのです!
     蒸したての栗にいっぱいのクリーム!!!

     子どもの私はもうこの光景にうっとり。
     どんな味なのかなあ。モンブランみたいなのかなあ。ウルスリのところでは、モンブランはこういうのかもしれない。
     想像はどんどん膨らみました(笑)

     実際、トリノで2度モンブランを食べたことがあるのですが、それはケーキ屋さんのものではなく、いずれもお家でつくったもの。
     ケーキ屋さんでモンブランを見たことはありません。
     栗を茹でるか蒸して、フォークでつぶして、そこに泡立てた生クリームをとろり。
     それがイタリアの「モンテ・ビアンコ」、つまりモンブランです。
     まさにウルスリの晩ご飯のようではないですか!

     この岩波の子どもの本シリーズ『アルプスのきょうだい』 は、「ウルスリのすず」とウルスリの妹のフルリーナが主人公の
     「フルリーナと山の鳥」の2作で構成されています。
     どちらもとてもかわいいお話しです。
     機会があったら、読んでみてくださいね。
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by sakanatowani | 2014-08-16 11:12 | 映画、本 film&book | Comments(6)
   アンをめぐる人々

アンをめぐる人々―赤毛のアン・シリーズ〈8〉 (新潮文庫)

ルーシー・モード モンゴメリ / 新潮社


     久しぶりに『アンをめぐる人々』を読んでいます。

     これはみなさんもご存知の『赤毛のアン』の10冊あるシリーズのうち、アン自身の物語ではなく、アンの周囲の人たちの物語の
     短編集。
     もう1冊のアンの周囲の人たちの物語『アンの友達』とともに、大人になってより好きになった本のひとつです。

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     私が、『赤毛のアン』にシリーズがあることを知ったのは、小学校6年生の頃でしょうか。
     近所のおばさんが「お祝いに」と(あら、じゃあ、小学校卒業祝いだったのかな?)、アンが結婚するまでのシリーズをプレゼ
     ントしてくださって、そのあと残りのシリーズを両親に買い足してもらったのです。

     それまでは風変わりな女の子アン・シャーリーのある物語として楽しく読んでいた本が、いっきに彼女の成長のお話しとなり、
     ワクワクしながらむさぼるように読んだ覚えがあります。

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     『赤毛のアン』シリーズは好きですか?
     乙女チック過ぎて苦手という人もいるようですね。

     ところが、とんでもない!
     「その想像とやらいうくだらないことは、忘れちまうこった」というお隣さん、「言葉で人を切る」おばあさん、「世話を焼
     かずにはいられない」おばさんなどなど、乙女チックとはほど遠い人たちもいっぱいなのです。

     言葉で人を切る? 世話を焼かずにはいられない?
     そんな人、あなたの身近にもいるんじゃないですか?

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     大人になって、一緒にいて楽しい人だけでなく、苦手な人、自分を煩わせる人、どうつきあっていいか悩んでしまうような人
     たちとも、つきあっていかなければならない毎日。
     そんな中で再び読んだアンの本で、何十年ぶりかで私の前にあらわれた彼女のご近所さんたちは、全然特別な人じゃない。
     あの人や、あそこの人に似てる気がする。「そうそう!こんな人いるよね~」という現実味を帯びた人柄ばかり。

     なんて観察力!なんて描写力!と、作者のすごさを感じるとともに、アン・シャーリーというひとりの女の子の物語が、実は
     私たちと同じような、普通の生活の中のいろんな人たちの物語になりました。
     そんな「たくさんの主人公の物語」は、この世の中はこんなふうに、楽しい人もいるけど、思わず避けたくなっちゃう人も
     いる。でもそんなふうにできてるんだな。なんてことも思わせてくれました。
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by sakanatowani | 2014-07-23 17:04 | 映画、本 film&book | Comments(6)
   舟を編む
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春ですよ〜

     言葉って何なんだろう?
     不自由な言葉で、違った文化、違った考え方の人たちの中で暮らしていると、どうしても日常的に考えてしまいます。

     言葉って、嬉しい気持ちを伝えるもの、優しさや安心を与えられるもの、相手をよりよく知るためのコミュニケーション・
     ツールでもあるけれど、そのうしろに自己満足や見下し、たくらみが透けて見える時もあるもの、相手を黙らせ切り裂く
     ものでもあり、脅しやうそ、詐欺などにも使う武器でも防具でもあるもの。
     そんなネガティブな面に囲まれて疲れきり、近年は話すこともすっかり少なくなってしまいました。


舟を編む 通常版 [DVD]

松竹


     1か月ほど前でしょうか。なんだか気になっていたこの映画をやっと見られました。(公式サイトはこちら

     監修をする言語学者の先生のもと、3人の編集員が働く、ある出版社の小さな倉庫のような辞書編纂室。
     新しいタイプの大辞典をつくるために、もう何年も(だったかな?)言葉を集めているこの編集部に、ある日事件が起こります。
     辞書編纂一筋のチーフだったベテラン編集者が、定年退職することになったのです。
     もちろん監修の先生は引き止めます。でも、奥さんの看病のためにもと、そのチーフの退職の決意は変わりません。
     誰か補充の編集員を探してくれ。退職までに、きちんとこの仕事のできる誰かを!

     しかし、出版社では辞書編纂室なんて社内でも存在が薄〜く、そんなところに行こうという人なんていないどころか、
     「辞書編集に向いてるヤツなんて、他の部署では役立たずに決まってる。自分たちで探して、好きなヤツ持ってけ」と
     社の上層部には言われる始末。
     さあ、定年退職が間近に迫ったベテラン編集者と、口は達者、でも仕事に対する熱意はいまいちという、いわゆる今時の若者
     編集者2人の、社内ヘッドハンティング(笑)が始まります。

     そこで白羽の矢がたったのは・・・営業部で「まったくコミュニケーション能力なしのダメ社員!」とレッテルを貼られている彼。

     他人と関わるのが苦手と自覚している彼は、呼び出した2人の前におどおどとあらわれます。
     そこでベテラン編集者が彼に聞いた質問は、
     「『右』を定義してみてください」




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ときどきこんなどんより天気の日もあるけどね

     辞書って、編集者が書いているんですね。もちろん監修の方がついているわけですが。
     辞書との付き合いは子どものころからですが、特にこちらに来てからの10年は、毎日頻繁にひく、身近で、なくてはならない
     存在になりました。
     でもあらためて、こうやって編集者が、一言一言書いているんだよなあと気づきました。

     みなさんも、「右」を定義してみてください。
     あなたが辞書編集者だったら、「右」の項目に、どう書きますか?

     けっこう難しいですよね〜。日頃から当たり前に使ってる言葉なのに。
     やってみると、言葉と直接向き合うって、やっていないものだなあとも気づきます。

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     映画の中で、「僕は言葉を使うのが苦手だから・・・」と言う彼に、大家のおばさんがこう言うところがあります。
     「あなたは辞書が好きなんでしょう? 言葉の仕事。だったらあなたの言葉を使えるはず」
     うろ覚えで正確じゃありませんが・・・あ、今、公式サイトで見たら、全然違ってました(汗) でも私には、こんな感じで記憶されてた〜


     言葉って、こういうものでもあったなあ。
     不自由で、傷つけ脅されるもの、毎日平穏に暮らすには諦めも必要なもの。
     この映画は、そんな私のここでの長年にわたって積もってきた言葉の世界観に、忘れていた何かを思い出させてくれました。
     見終わって、そうだな〜、そうだったよね〜って、正確に言葉にはできないけどいい気持ちを残してくれました。
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by sakanatowani | 2014-04-05 18:42 | 映画、本 film&book | Comments(10)
   あたまとこころと日本の文化

ONCE ダブリンの街角で デラックス版 [DVD]

ジェネオン エンタテインメント


     もう7月なんですね〜。
     もう毎日あっという間に過ぎてしまいます。もう少し、一瞬一瞬を大事にしないとなあ。

     『once - ダブリンの街角で』という映画をご存知ですか?
     日本では2007年に公開されたようです。

     詳しくは書きませんが、音楽でつながった人たちがつくった映画。
     演じている人たちが俳優でなく、実際に音楽で生きている人たちなので、ドキュメンタリーっぽい雰囲気で、淡々と
     お話が進んでいく映画です。
     とはいえ、「心から好きなこと」を中心に話が進んでいくので、静かながらも、押さえきれない情熱が描かれていきます。
     
     まわりに支えられながら、未来のすべてをこれからつくっていく若者ならともかく、すでにある状態を考慮しつつ、
     未来をつくっていかなければいけない私たち大人。
     「心に従うことが大事なのだ」と言われる昨今ですが、それを全肯定できないのも大人ならでは。
     それはいけないことなのだろうか。
     心に従わなければ。でも・・・
     それをできたらどんなに嬉しいか。でも今はできない。
     そんなジレンマは、誰しも感じたことがあるのではないでしょうか。
     ある情熱を持ちながらも、まわりにはそれも気づかれないで、ひとり心の中にしまって暮らしている人もいるでしょう。

     夢や情熱を持ちつつも、現実を生きていかなければいけない大人ならきっと、共感したり、考えさせられたりする映画。
     もちろん、ただただ音楽を楽しむこともできる映画です。
     機会があったら一度、観てみてくださいね。


となりのトトロ [DVD]

ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント


     それから、何十年ぶりかで、『となりのトトロ』を観ました。
     イタリアでは数年前にやっと初公開されたので、このたび図書館の貸しDVDに入ったのです。

     この映画はほとんどの方が観たことがあると思うので、内容に触れてしまいますが・・・。
     私、なぜか、お母さんは亡くなってしまう物語だと思い込んでいたのです。なんでだろう

     なので、さつきちゃんがお母さんに一生懸命手紙を書いている場面などで、「ああ、お母さんは死んじゃうのに、あんなに
     楽しそうに手紙書いて・・・(泣)」と、おいおい泣きながら観ていたのです
     お母さん、ちゃんと元気に退院するんですね。
     よかった!

     今観てみると、今まで気づかなかったけど、日本ならではの仕草や事物が満載。
     新しいお家に着いて、さつきちゃんが靴のままお家に上がって、膝であちこちを歩き回るところ。私も小さい頃、やったやった!
     紙垂(しで。連縄についた紙のひらひらです)のついた大きな樹。

     私たちには当たり前のことも、靴を履いて家にあがったり、自然の中に神を見る文化でなかったりすると、
     そういう意味も考えないままに、ただ目に映っているだけの事柄。
     そういうことが、長くここに住むようになって、あらためて、ああ、日本なんだなあ。と、懐かしく、そして素敵なことに
     見えました。

     そうそう。先日、日本の映画を観たという人たちと話していた時のこと。
     どうやらお侍の時代の古い映画のようなのですが、彼らがある場面に「わからない!」「あんなひどいこと!」と大騒ぎ。

     ある侍が(偽お姫様という)女性を守りつつ、一緒に追っ手から逃げています。
     ところがある時点で、この(偽)お姫様、気を失ってしまうのですね。(ああ、ありがち、ふふふ)
     「そのときに、この侍、彼女に口に含んだ水を吹きかけるんだよ!」
     「(偽)お姫様は気がつくんだけど。でも、あんなひどいことするなんて!」
     「そこで私たち、よくわからなくなっちゃったのよ。彼は彼女を守っていたはずなのに」
     「そうなんだよ。そこまで仲違いみたいなことはなかったのに、彼のあの蛮行!」

     彼らの話を、それらの場面を想像しながら聞いていた私、そこで「?!」
     「どうしてそんなに驚くの?」

     よくよく話を聞いてみると、彼らの言う蛮行とは、「口に含んだ水を相手にかけること」。
     これは相手につばを吐きかけることと同様で、それらに言わせれば「蛮行」なのですね〜。

     一方、私の頭の中では、お侍が口に含んだお酒や水を、プププ〜!っと自分の刀に吹きかける、よくある場面に関連した一行為。
     だから私には、追っ手から逃げる汚れたお侍が、目の前で倒れた女性を起こすために、その場にあった竹筒の水筒から
     水を口に拭くんで・・・プププ〜。
     という、当たり前の場面が流れていたので、彼らの言い分に、ほっほ〜、なるほどな〜!と。

     「日本では、あれは無礼な行為ではないのか?!」という問いに、
     「う〜ん、お侍の時代のことだからねえ。今やったら別だけど、時代劇の中ではあることだから、私たちは
     そういうふうに見てるんだよ」と。

     文化が違えば見る場面も、感じ方も違う。
     自分の文化を再確認しつつ、違う文化の人(で、相手の文化を尊重することができる人)と話すのは、
     おもしろいなあと思ったのでした。



     
     
     
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by sakanatowani | 2013-07-06 17:17 | 映画、本 film&book | Comments(4)
   だれも知らない小さな国
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     佐藤さとるさん作の『だれも知らない小さな国』を読んでいます。
     子どものころからその存在は知っていたのに、なぜか今まで読む機会がありませんでした。

     自然の中に住んでいる小さな小さな人たち、コロボックルの話だというのは知っていたのですが、読んでみてびっくり。
     とんだ思い違いをしていました。
     小さな小さな人たちの、生活の中だけのお話ではなかったんですね。
     もっと広い世界、私たちと同じような人たちと、コロボックルの交流の話だったのです。
     読んでいて、私のまわりの世界も広がったような感覚を覚えました。

     優しい、柔らかい物語。
     夢を実現するためにも、困難を克服するのにも、このお話の中ではどれもがとても優しく進められていきます。
     映画の中や実際の世界、私の身近にあるような、力や勇気がみなぎっていたり、攻撃的な雰囲気はここにはありません。
     真っ赤や直線や鋭角の絵ではなく、柔らかい6Bの鉛筆で緩やかに描かれたような物語。

     苦しい状況の中読んだから、登場人物たちのその柔らかな穏やかな前進の仕方が、とても自然に、静かだからこその
     力強さを持っているように感じました。
     こんな雰囲気の物語、今まで読んだことがなかったかもしれません。
     今だから出会ってよかった物語です。

     それにしても、佐藤さとるさんとコンビを組んでお仕事をされることの多い村上勉さんの絵の柔らかいこと。
     小さい頃からあちこちで見かけていたけれど、あらためて見ると、惹きつけられる魅力がいっぱいです。
     インクなのか、でももっと柔らかい自然に消え入りそうな線は、鉛筆で描いてらっしゃるのか。

     物語は、まだ4分の1ほど残っています。
     優しく強く前進していく物語を、自然に身体にしみ込ませていこうと思います。

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午前中は久しぶりにしっかり雪が降りました。

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by sakanatowani | 2013-02-25 04:24 | 映画、本 film&book | Comments(6)
   オーケストラ!

オーケストラ! スペシャル・エディション(2枚組) [DVD]

Happinet(SB)(D)


     音楽ってなんてすごいものなんだろうと常々思っている私が、音楽の力をさらに見せつけられたなと思った映画。
     それがこの『オーケストラ!』です。

     現在のロシア。ボリショイ劇場の掃除夫アンドレイ。ある日、彼が掃除をしていた劇団長の部屋に送られてきた
     1枚のファックスを見つけたことから話が始まります。
     昔のオーケストラ団員を集めて偽ボリショイ・オーケストラを編成し、パリの劇場でコンサートをしようと
     思いつくのです。
     実はこのアンドレイ、30年前には天才指揮者と絶賛されていた人。
     しかし当時のロシア政権下でのユダヤ人排斥の一端であるユダヤ人団員の解雇に反対し、自ら指揮棒を折って
     いたのです。
     その彼が、自分のオーケストラで今、パリに乗り込もうと思いつく。
     当時の団員たちは、今では彼と同様、それぞれ音楽とは違った世界で生計を立てています。
     さあ、アンドレイの計画はどうなるのか?! はたしてその道のりは?!

     映画はクラシック音楽満載で、実際に80年にロシアであったユダヤ人排斥という事実を背景にしていますが、
     堅苦しいというよりもコメディっぽい。
     80年といったら、私はまだ子供だったけど、ああ、あの頃と思い出せる時代。
     そんな最近にロシアではそんなことが起こっていたのかとはじめて知って、ちょっとショックでもありました。
     でもその中で起こるドタバタ劇は、日本にいたら「ありえないでしょう(笑)」って思っていただろうことだけど、
     ここにいると「ふふふ、ありえるよね〜」と皮肉に納得してしまうことも。

     劇中でフランス人バイオリニストが、リハーサル時間に集まらない団員たちに対して「これが有名なスラブ時間
     なのね」という場面があるのですが、私はこの台詞にびっくり。
     だって、フランス人はイタリア人と同様のんびり自分の都合のラテン時間で過ごしている民族だと思っていたから。
     (↑失礼^^;)
     そのフランス人に「有名なスラブ時間」なんていわれるなんて、スラブの人たちはさらにのんびりした時間感覚
     なのか。それともラテン人が得意とする自分のことは棚上げ発言(笑)なのかと、にやにやと観てしまいました。
     いや本当に、日本が舞台だったら、こんなエピソードはできないだろうなということばかり(笑)

     公式サイトでミヘイレアニュ監督は、「人生に傷つき、ノックアウトされたように動けなくなる。
     もう一度立ち上がるのは本当に難しい。でもこの映画のキャラクターたちは、それをやろうとしている。
     まず自信を取り戻し、そして立ち上がり、もう一度価値ある人間になろうとする・・・(略)」と言っています。

     そう。もう一度立ち上がるのは本当に難しい。でも、本当に自分を取り戻すというのは、もう一度価値ある
     人間になる、そう自分で感じられるようになるとこまでいくということなんだと強く思います。
     そうなってはじめて、自分として胸を張って生きていけるようになる。

     音楽って本当にすごい。音楽をする人、そしてしない人の心にも深く浸透していくこのコミュニケーション力は、
     私がやっているイラストや版画ではできないことだと、音楽、そして音楽をする人に対して、深くうらやましく
     思うのです。
     政府や人の見方、固定観念など、自分ではどうしようもないこと、自分では変えることができないことで、
     自分が自分でいられなくなってしまう。それがたとえ自分のそのときの意志であっても、そのために自分では
     いられなくなってしまうこともある。それでも本当の自分の情熱が心の中に残っていれば、いつかチャンスはくる。
     そのときそれを爆発させることもできるんだ。
     そんなことを感じさせてくれて気分が前向きにスカッとする映画。
     音楽って本当に美しものだと再確認させてくれる映画。
     それがこの『オーケストラ!』なのだと思います。

     ここでリンクをはったDVDはスペシャルエディションなんですね。
     私は図書館で借りた1枚のみのものを観たので、このスペシャルエディションにはどんなエピソードが入っている
     んだろうと、すごく興味津々です。
     音楽というコミュニケーションを、映像と音で伝える。映画というものも、ダイレクトに心に響く表現法だなあと、
     ここにもまた憧れを抱くのです。

   オリンピックとキュウリのピクルス
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by sakanatowani | 2012-07-29 18:47 | 映画、本 film&book | Comments(4)