カテゴリ:アート art( 7 )
   深まる秋に・・・
     *追記あり(moreを付け加えました)
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     最低気温は3、4度になったけど、昼間はまだまだ14度ぐらいまであるから、まだ秋、かな。
     でも葉っぱはどんどん落ちていて、樹の枝がレースのように見えますよ。

     人々が長い長い夏のバカンスからやっと目が覚めて仕事モードになるのか(え?!)、この時期は新しい展覧会のシーズン。
     ヨーロッパのギャラリー中心のアートフェアに行ったり、ふだんあまり趣味に合わない展覧会ばかりしている美術館に
     たまたまさそわれたので、いい機会だからと行ってみたり。

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Fondazione Sandretto Re Rebaudengo "ONE TORINO"

     この展覧会、はじめの部屋の作品は、正直言って、全くよくわからなかった。
     「この人たちは、どうしてこれをつくったんだろう」とか、「どんな気持ちで、これが完成形だと手を止めたのだろう」とか、
     創作者側に立って想像してみたんだけど、やっぱりわからなかった。
     あの作品をいいと思った人に、解説してもらえたらなあ。

     カーペットの形のアート作品のグループ展。デュッセルドルフの美術館 2(前)2(後)で作品を観たアーティストの名前も
     見える。
     この人たちは、どうしてカーペットの形にしたんだろう。
     どういうものを表現したく、そしてそれには織物という素材じゃないと表現できないと思ったんだろう。
     自分が使わない素材の作品を観るのは、新しい視点を得られて楽しい。

     久しぶりに音楽と過ごす日の中で、今までとは違ったものが頭に浮かんで、新しいことも始まりそう。

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Piotr Uklanski

     音楽でも絵画でも、それこそ食べ物でも文章でも、どこから個人の好みって来るのかなって思ったりします。

     以前ね、「フジりんごはだめ。あのシャリシャリした歯触りが気持ち悪くて。古くなってふかふかしたりんごが好き」という人に
     会いました。
     私はその全く反対。古くなってふかふかになったりんごはどうしてもだめ。歯触りがないと。
     同じものを大好きという人と、受けつけないという人。
     体の中のどこかから、「これ好き」「これダメ」って、無意識に出てくる。何が基準? 何が違うんだろ。

     好みの問題と言ってしまってはそれまでだけど、アートって、視覚コミュニケーションであるはずなのに、
     観る側にコミュニケートする力があんまりないの?ってことを思ったり。
     だって音楽は、細かい好みはあるとしても、まずまっすぐに届くでしょう? 聴く側に届く力はものすごい。
     具象画はともかく、抽象画、現代美術になると、どのくらい観る人に届いてるのかな。
     理解しようとしてもわからない作品をみて、そんなことを思ったり。

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     土曜日の朝、うちに泥棒が入りました。ティーンエイジャーの女の子3人組だったそう。
     私は外出中。生活夜型の同居人はまだ寝ていて、そこに入ってきたひとりと鉢合わせ。向こうはびっくりして逃げていったらしい。
     幸い、私の部屋はドアを開けられただけですべて無事。玄関からいちばん近い部屋の子のコンピュータだけが盗まれました。
     その件に対する大家や同居人たちの態度があまりにも非常識でいいかげん「悪いものには巻かれろ。国の機関は信じられない」って態度で、
     気持ち的にまたもやがっくり。
     私がこの国を嫌いな理由は、ひとえにこの人たちが原因じゃないだろうか。
     だってこのことを話した友人(イタリア人)たちは、彼らの態度にあきれてましたから。

     そんなふうに、頭の中がまとまらない日々。
     大きなパワーでドカンと前に押し出していきたいのに、ちょっとまだまとまらず、な晩秋です。

     音楽っていいね
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by sakanatowani | 2013-11-12 18:57 | アート art | Comments(7)
   豪華な食器のある生活?
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     前回の「これ」、誰も答えてくれなかったらって心配していたんですが、答えてくださった方が何人もいてほっとしました〜(笑)
     どうもありがとうございます!

     実はこれ、スープチューレン(というんですね)でした。ydonnadieuさん、ご名答!
     真ん中のキャベツの玉の上の部分が蓋になっていて、パカッとあくようになっているらしいのです。

     キャベツのスープ入れ! キャベツにスープを入れようなんて!
     そんなこと考えるんだ〜!
     と、見たときびっくりしましたよ。


d0165762_111218.jpgこれを見つけたのは、トリノの宮殿広場にあるパラッツォ・マダーマ(Palazzo Madamaマダマ=マダム宮殿)。
サイトに日本語の説明があってびっくり!

パラッツォ・マダーマは、16世紀までは(トリノのあるピエモンテ州あたりの)権力の象徴であり、数々の君主の城でしたが、17、8世紀のサヴォイア家統治の際にファザード部分が付け加えられ、サヴォイア公爵夫人の城となりました。

現在では、君主や公爵たちの宝飾品や生活用品を中心に、ピエモンテ州の職人たちの手になる品々が見られる博物館となっています。


イタリア語版wikiより拝借 白く豪華なファザードと、数世紀をさかのぼる焦げ茶色のシンプルなバック側の建物との2つの面を持つ宮殿



     その公爵たちが使ったと思われる豪華なレース、精巧で繊細な装飾のついた鍵類、美しい挿絵の本などと混じって、
     ピエモンテ州やイタリア各地でつくられた陶磁器の数々が展示されている中に、このキャベツのスープチューレンがありました。

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     はじめは「キャベツの置物?!」と思ったのですが、表示を見るとこれはスープ入れ。
     キャベツなんて、今では庶民の野菜中の野菜を、なんとスープ入れの装飾にしてしまうとは!

     キャベツって、当時は公爵など裕福層しか食べられないような珍しいものだったのかな。
     それともこの生き生きとした緑の葉っぱが、暗くて寒い冬に待ちこがれる春を思い出させると好まれたのでしょうか。

     それにしてもこれ、形からいって、洗いにくいと思いませんか?
     葉っぱと葉っぱの層の間とか、乾きにくいだろうし・・・な〜んて思いながら見ていて、はた!と気づきました。

     公爵だもの。自分で洗うことなんて考えないんだよね


     そんなことをつい考えちゃう超庶民の私。
     昨年の夏にデュッセルドルフの美術館クンストパラスト(アート・パレス)で、思いがけなく、すばらしいアール・
     ヌーヴォーの食器やランプの数々を見ることができました。

     でもそのとき、この庶民姉妹がした会話は・・・

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     「エミール・ガレのガラス皿か〜!」
     「こんなすごいもの、どうするんだろうね。使っちゃうのかなあ」
     「お金持ちの知り合いとかいないから、どうしてるのかとかわかんないよね」
     「やっぱり美術品だからさ、飾ってたんじゃない?」
     「でも実用品といえば実用品だよ。お金持ちならケチってないで、使ってたのかもよ」
     「でもさ、こんなリアルな鯉や虫が(装飾で)ついてるんじゃ、食べる気なくなるよ〜」
     「でも、この鯉の横のあいたところに水ようかんなんて置いたらいいかも」
     「あっ、それはいいかもね〜!」

     エミール・ガレに水ようかん・・・ああ、どこまでいっても庶民の発想と会話だわ(笑)

       この美術館、半分が「ガラス・アート」の展示になっていて、エジプト時代のガラスから、アール・ヌーヴォー、イッタラのガラス製品、現代ガラスアートまで、
       ガラスだけのものすごい数のコレクションがあります。
       日本の版画のコレクションもすごいようで、また私が行ったときには、江戸時代の刀のつかのコレクションと根付コレクションの展示をやっていましたよ。
       ガラスが好きな人にはおすすめです。


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     さて、話はまたパラッツォ・マダーマにもどって。

     ここには本当にたくさんの、ティーポットのコレクションもあるんです。
     その中に、こんなものも見つけましたよ。

     中国風のゾウだと思うんですに、鴨?を抱えている紳士風の狐?、そしていちばん右のはバグパイプを抱えた人?
     いちばん右のが、この中ではいちばんふつうに見えるけど、でもどこからお茶が出てくるんだろう?いちばん謎(笑)
     おもしろいですよね〜。

     キャベツのスープチューレンに中国風のゾウのティーポット。
     公爵たちの食卓は、その食器類だけでも、ずいぶん楽しくにぎやかだったんでしょうね。
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by sakanatowani | 2013-01-21 01:54 | アート art | Comments(10)
   空間の心地よさ - デュッセルドルフの美術館2(後)
     前回の続き。デュッセルドルフの近現代美術館のひとつK21

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Charlotte Posenensko

     これは吹き抜けの廊下側の壁に展示されていた凸面と凹面が組み合わさった作品。
     ちらっと見て、こういう幾何学的な固まりを創りたい人もいるんだよねえ、なんて生意気なことを考えながら
     (←幾何学的な形にまったく興味がない人)、ふ~んと、その前を通り過ぎようとした時・・・あれ?!

     私が動くとともに、この作品の影と光の表情が変わるのです。
     とまっているオブジェなのに、なんだか動きがあるみたい。
     そうですよね。考えたら当たり前。
     表面が凸面と凹面でできているのだから、視線の位置が変わればその影の見え方が変わり、作品の表情が変わります。

     なるほど~。この作品は、こういう風にも観られるのか~。
     へ~、おもしろい~。
     そう思いながら、顔を作品の方に向けたまま、前に行ったり後ろに戻ったり。

     そんなことをしていたら、私を見ていた人がいたんですね。
     その廊下のそばの部屋の監視員の女性が、廊下の突き当たりの部屋の監視員の男性に、何やらドイツ語で
     笑いながら話しかけました。
     しかも前に行ったり後ろに戻ったりの私のジェスチャーつきで。
     きゃ~、恥ずかし~!

     私がその男性監視員の部屋の方へ近づいていったときその人が、笑いながら私に話しかけてきました。ドイツ語で。
     「残念ながら、ドイツ語はわかりません」と英語で言ったら、彼はう~んとちょっと上を向いて、それから彼の
     持ち場の部屋に私を導きながら、その部屋の作品の説明を英語でしてくれようとしました。が、彼は英語が
     ほとんどできないようで・・・
     結局、ジェスチャーで「ゆっくり観てね」というようなことを言って、廊下にまた戻っていきました。

     ああ、残念。ドイツ語ができたら、ちょっと楽しい話ができて、この部屋の作品についての説明も聞けたのに・・・。
     言葉がわからない国を旅するのも楽しいけど、こういう時はつくづく、言葉がわかったらなあと思います。

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Rosemarie Trockel

     この部屋の気持ちいいこと!
     もちろん作品が、私の好みであることもあるのだけれど、真っ白い壁に、ぽつんぽつんと作品があって、
     それを観るときに、目のはじに窓からの光と緑が見えるのです。
     視界に入る作品のまわりの空間の広さ、明るさ、自然が、とてもとても気持ちがよくって、気持ちが休まる
     空間になっています。
     
     考えてみたら、K20も気持ちが休まる空間が続く美術館でした。そしてここも。
     ぎゅうぎゅうに作品があるのではなく、気持ちよく心休まる空間を歩いて行くと、いい作品に出会う。そんな印象。
     そういう美術館のつくりも、私の好みに合ったから、いろんな作品を十分に楽しめるんだろうな。

     それでもやはり、生理的に受けつけない作品もあるんですよね。
     不安にさせる音を出すもの、いかにも古そうな扉を入ると、中は真っ暗、個人の生物実験室のような不気味なものが
     机の上に山のように散らかっていて、前を通ると音が・・・そういうな作品はやっぱり苦手です。
     ここでもそういう作品の前は走るように(笑)

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Barnett Newman "Zim Zum II"

     この建物の天井は、三角に細かくしきられたガラス張り。そこにいるのがこの巨人たち。
     こんなに近くで観られるんですよ~。囲いの綱なんかもないんです。

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     この日は雨降り。
     天井のどこかからの雨漏りも、なんだかここで見ると、向こうの巨人とのインスタレーションの一部みたい。

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     ここに「壊れた階段」のはじっこがありましたよ。
     こんなふうになってるんだ~。

     ここで、この作品を一心にスケッチしている人を見ました。
     本当にこの作品が好きなんでしょうね。
     こんなふうに描きたくなる作品に出会えるなんて、すごく素敵だなあ。

     この人は、その後、私がまたゆっくりと各階の好きな場所を観ながら1階まで下っていった時、
     今度はそこからこの作品を下から見上げながらスケッチしていました。

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     最初は「好きになれるかなあ」と思っていた現代美術館だけど、見終わってみたら、新しい見方を知ることができた、
     とても興味深い場所になりました。
     最後に、この美術館の重い重いドアの前で記念写真。

     ここのドア、高さが3mぐらいあるものすごい重いもので、実は入るとき、ひとりで開けられなかったのですよ。
     いちばん力が入るようにドアに斜めに身体を当てて、自分の全体重をかけて、う~ん、う~んとドアと格闘してた時、
     たまたま後ろから来たカップルの大きな男性が、私の頭の上からドアを押して開けてくれたんです。
     大きな人が多いドイツでは、ドアを始めいろいろなものが、ものすごく力を入れないと機能しない(汗)

     今度ここに行く機会がある人は、ドアにはくれぐれも気をつけて!
     私はドアと格闘してる時、危うくつま先をつぶすところでしたよ~。
     でも内容は保証付き。楽しんでくださいね♪

    
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by sakanatowani | 2012-11-25 02:32 | アート art | Comments(6)
   空間の心地よさ - デュッセルドルフの美術館2(前)  
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ドングリの葉っぱももうすっかり落ちて。よく見ると葉っぱの形がかわいいの♪

     今朝、新しいでも賞味期限はずっと前・・・ああ緑茶の袋を開けたら・・・ふわ〜。
     緑茶のいい香りに、思わず身体が磁石に吸い付けられるように近づいて、くんくんくん・・・(笑)
     気持ちがすうっと穏やかに休まる香りです。
     心身ともに疲れきってしまっているこの数週間。 
     今日は大好きな美術のこと。デュッセルドルフの美術館の続きでも書いて、気持ちだけでも好きな世界へ行きましょうか。

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あとから知ったのですが、このチケットでK20の中にある喫茶店で割引があるようですよ

     デュッセルドルフの近現代美術館のひとつK20に行った時、もうひとつの分館、K21にも行けるコンビチケットを
     買っておきました。
     「どっちから観に行こうかな〜」と思っていたら妹が、「前に(息子の)学校の行事でK21に行ったんだけど、
     壊れた階段とかあって、よくわかんなかった」と。
     ということは、K21は現代美術、インスタレーションが集められてるのかな。
     それぞれの美術館の数字は、20は20世紀、21は21世紀を意味しているってことなのかな。

     というわけで、まずはわかりやすそうなK20に行ったのですが、さてK21。
     実は私はインスタレーションがよくわからない。
     美術館などで観るのだから、アートなんだろうなとは思うけど、どうしてこういうものをつくりたかったんだろう、
     何を言いたかったのかなというところが今一歩わからない。
     そんなわけで、まったく趣味があわないかもしれないけど、この日はとにかく行ってみようと思った次第。
     ふふふ。どんなことを感じるのやら。


     街の中心に突然に現れる緑の中にあるK21。
     受付でチケットを見せ、写真撮影許可のシールをここでもリクエスト。
     吹き抜けになっている建物の中心の方へ歩いて行ってみると・・・
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Monika Sosnowska "The staircase" (2010)

     ありました。ありました。
     これが妹が言っていた「壊れた階段」だね(笑)
     わかる、わからないは別として、私は嫌いではないなあ、と思いながら、さて、美術館をまわってみましょう。

     この美術館は、中心の吹き抜けを中心に、そのまわりをぐるぐると各部屋を観ながら、どんどんと上階に
     上がっていく仕組み。
     吹き抜けに面した部分は壁が開いているし、上がっていく途中の階段にも、小さな窓が開いている。
     だからいろんな場所で、いろんな高さで、いろんな角度から、この作品が観られます。
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     へ〜、おもしろい。
     場所によって、遠くになったり、近くになったり。観る高さが変わると、だんだんこの階段がどんなふうなのかが
     見えてくる。
     こんなふうにひとつの作品が見えるんだ。
     この作品は、ここにそういう形で設置されることを前提として創られたのかしら。
     こういう風に観る作品もあるんだなあ。

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Juan Munoz "Plaza" (1996)

     たくさんの等身大の人が集まっている作品。
     ひとつの部屋の中心にあって、監視員がひとりついています。
     作品保護のために、作品の人たちの間を通り抜けることはできませんが、まわりを歩いて観ることはできます。

     この群衆の周りをゆっくりまわって観ながら、「なぜこの作品を創ったのかなあ」と思っていました。
     おもしろい作品のような、まったくわからないような。
     どう観たものか・・・
     と思っていたときに、作品の群衆を挟んで反対側に男性がひとり、私と同じように作品を観にゆっくりと入ってきました。

     そのとたん、私の目の前の情景が、がらりと変わりました。

     いろいろなポーズをした作品の白い人たちの間に、ちらちらと現実の色の洋服を着た人の姿が動きます。
     先に入ってきた男性のつれでしょうか。何人かの人が、そろりそろりと、同様に作品のまわりを観ながら動いています。
     動かない作品の白い人たちに交じる、色のある動く人たち。
     その2つの人影が合わさって、先ほどとはまったく違う表情の情景が、私の目の前に動いています。
     なんておもしろいんだろう!

     そうか! 
     この作品は、こうやって観客がいてはじめて成立する、それを前提として創られたものなのかも!
     私たちが参加することによってできる世界。 作者はこれを見せたくて、この作品を創ったのかもしれない。

     その展示物のまわりの空間をも含めてが作品となるインスタレーション。
     そのおもしろさはこういうことなのかな。

     長くなってきたので、次回に続きます。
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by sakanatowani | 2012-11-22 02:21 | アート art | Comments(4)
   目の前で見ること - デュッセルドルフの美術館1
    督促状が来ていたにもかかわらず、いつまでたっても同居人が支払いに行かないおかげで、インターネットがしばらく使えなくなっていました。
     お金にだらしない人とアパートをシェアしていると、こんなとばっちりにもあいます。ああ・・・(怒)


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アレキサンダー・カルダー 『無題』(1937)

     デュッセルドルフで「出かけよう!」って思った時、美術館に行きたいなって思いました。
     ドイツの美術館では、イタリアでは見られないドイツのアーティストのコレクションが多いのではと思ったからです。

     日本では、海外のアーティストの展覧会もよく開かれるし、美術館の所有である常設の作品でも、海外のアーティストの
     ものがたくさんありますよね。
     でもここでは、まずはイタリアのアーティストのもの。もっと言えば、地元のアーティストの作品がほとんど。

     ルネッサンス期以降、イタリア美術は世界的に歴史の上でも大事なものになっているというのもあるでしょう。
     またここトリノは、20世紀初頭に起こった「未来派」や、60年代の「アルテ・ポーヴェラ」という現代美術史上でも
     重要な動きの中心地でもあったというのもあるでしょう。
     でもたぶん最大の理由は、イタリア人はイタリア人が好きだから(爆)

     結果からいえば、デュッセルドルフの美術館は日本の美術館と同様、世界中のアーティストの作品を収集していました。
     やっぱりイタリアが特殊なんだわ(爆)
     行ってみて、もう大満足!

     ひとりでじっくり楽しもうと行ってみたのが、通称K20、K21と呼ばれるノルドライン・ヴェストファレン芸術・コレクション
     (Kunstsammlung Nordrhein-Westfalen)

     デュッセルドルフにある近現代美術館で、K20とK21の2カ所に分かれています。

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ピカソ 『Still Life with Steers Skull』(1942)
その自由な変化に富んだ作風に憧れるとともに、自由奔放だっただけに
彼を恨む女性も多いというその人柄に複雑さも覚えるアーティスト。

     旧市街のはじっこにある大きく曲線を描くガラス張りのモダンな建物のK20。
     真っ白な大きな空間の階段を上っていくと・・・あるわ、あるわ。
     ピカソ、ミロ、シャガールなど、誰でも知っているアーティストの、しかも美術の本で見たことのある作品ばかりが並んでいます。

     本で見る時は、絵のモチーフや色を見るのが主になりますが、目の前で見る絵は、その大きさから受ける印象、そして筆のタッチ
     などから、こちらに訴えかけてくるもっと生き生きとした生のもののような感じを受けます。
     この人(アーティスト)は、どんな気持ちでこの絵を描いたんだろう、なぜこの素材を描こうとしたんだろう。
     しばしそんな勝手な想像の世界にひたるのが、ワクワクして楽しくてたまりません。

     しかもそれらは本で見たことがあるものがほとんど。
     ああ、これだったのか。こういう風だったのか、と、目で見る感動を覚えます。

     いろいろな美術論がありますが、私にはやっぱり「好きかどうか。興味を引かれるかどうか」がいちばん大事。
     全体から受ける雰囲気が好き、その線が好き、色が好き。
     好きにもいろいろありますが、何か「好き」を感じたら、それに向かってのめり込む、その雰囲気に浸りきるのが私の見方。
     その絵が好きでもない人には、何をそんなに時間をかけてみるものがあるのかという感じでしょうが、じっくりじっくり
     時間をかけて観るのです。
     でも気持ちにあまり引っかかってこないものに対してはとっても淡白。ささっとそばを通り過ぎてしまいます。
     だからひとりで観に行く方が気が楽かな。同行人にこのじっくりをつきあわせるのは悪いしね。
     もちろん同じ趣味の人と、あれこれ言いながら観るのもとてもおもしろいですが。

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     展示室の途中に、こんな場所がありました。
     何が展示してあるのかなと上ってみると、そこは庭が見える窓に向かって座れるようになっている小さな空間で、そこには
     この美術館のカタログが置いてありました。
     観ている間に興味がわいた絵を調べることができるのですね。

     鑑賞の途中でふと絵から目をそらせ、窓の外の緑を見ながら一息ついたり、今観たものを頭の中で考えてみたり。
     そんな場所があるのはいいですね。
     カタログは、絵もとても大きく印刷されていて説明もかなりしっかり目の分量だったので、ものすごく欲しいと思いましたが、
     残念ながらドイツ語版のみ。
     せめて英語の併記ががされていたらなあと、とても残念でした。

     真っ白な仕切られた空間をいくつも回って、同じ雰囲気のままの階段を下りていくと、広い広い空間へ。
     その左手の大きな壁に、ジャクソン・ポロックの縦3メートル×横5メートルはあるでしょうか、そんな大きな白黒の作品が
     かかっていました。

     ジャクソン・ポロックは、不安定な精神状態、アルコール中毒をもちながら、その時代に衝撃的な作品を発表し、突然の
     自動車事故で亡くなるという、まさにその時代らしいアーティストの人生を歩んだ人。
     エナメルをつかったドリッピングなどのアクション・ペインティングで有名ですね。

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ジャクソン・ポロック 『No. 32』(1950)

     今回、ポロックの作品を目の前で見て、正直言って、想像以上にその迫力に圧倒されました。

     以前、彼が床一面に敷いたキャンバスの上を、エナメルの缶をもち、刷毛などでエナメルを垂らし、飛ばしながら、作品を
     つくっているところを延々と写したビデオを見たことがあります。
     その描き方を頭ではわかっていたのですが、こうやって実際に絵を目の前で観た時、全体が見渡せないキャンバスの上での
     作業で、この躍動感をどうやってつくったのだろう、どうしてこんな全体的なハーモニーやリズムをつくれるのだろう。
     そんなことばかりが頭の中でぐるぐるしました。
     また少し前から私には、彼のこの描き方が、日本の書道に似ているものがあるような感じがしていて、
     ちょっと気になっていたのです。

     私は小学生から中学生までたった10年ほどですが、書道が好きで好きで、楽しく書道教室に通っていた時期がありました。
     真っ白な紙の上に、気持ちを集中して、えいやっと、思った字を書く。
     「気持ちを落ち着けて集中しないと、いい字は書けないよ」と何度も教えられました。
     中学生になって楷書から行書、草書を始めた頃、たしか和歌を書いていた時には、こういうことを言われました。
     「自分がどんな字を書いているか、意味をわかって考えて書いている? 文字の形をなぞっているだけではダメなんだよ」

     書道では、筆の動かし方、墨のつけ方や分量、また紙の性質によって、自分が予想もしていなかった線が描かれることもしばしば。
     それはいくら経験を積んでも100%コントロールできるものではないようにも思えます。
     しかし、その経験から来る予測や意図を持ってしてもコントロールできない偶然性をも味方につけて、その偶然性と遊ぶというか、
     それを楽しむこと、また書くものに対する気持ちがあって初めて、書道として成り立つのではないかという気がするのです。
     そこには偶然性、そして描いているものに対する気持ちが不可欠だという気がしてなりません。
     そういうところが、ポロックの作品の作り方に似ているような気がするのです。

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ジャクソン・ポロック 『No. 32』(1950)部分

     実は以前、今通っている美大の教授に、その話をしてみたことがあります。
     今いるところでは東洋と西洋の境目がいつもはっきりと意識されていて、私にはどうしても東洋人としての話題が振られるので、
     自然にそんな話になったのだと思います。
     そのときの教授の反応は、「ポロックは、(東洋的どころか)とても西洋的な画家だよ」でした。
     そして「"日本的な"ということを言われるアーティストには、フランツ・クラインがいるんだよ。彼は日本の書道に影響を受けた
     んだ」と。

     確かにこの美術館にある彼の作品も、そういわれればそんな風に見られるもの。
     しかし彼は、その形を描くために、スケッチしたものをプロジェクターでキャンバスに投影して描いていたといいます。
     それを教授から聞いたとき、「書道とはまったく違うものだな」と思わずにはいられませんでした。

     書道の楽しみのひとつに、真っ白な紙の上に最初の墨を置いてから、間髪入れずにスピーディに、考えているような、考えて
     いる暇もないような感じで筆を動かし、一気に書き上げていく緊張感があるように思います。
     それがポロックにもあるような気が私にはしているのです。
     しかし書道をまったくしたことがない教授に、ポロックのドリッピングの手法は、書道をする時の偶然性を楽しむどきどき
     ワクワクするような緊張感に似ているでしょうとは、言葉では伝えられても、気持ち的にピンと来るように話すことは
     できないでいました。

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真ん中に見えるのがフランツ・クラインの作品

     そして今回、そのフランツ・クラインの作品を見つけ、もう一度、彼の絵をまっさらな気持ちで観てみようと思いました。
     確かに書道に影響されたと言われるのがわかるような黒い線で描かれています。
     しかしその線の中には、いくつもの筆あとがあって、それがそれぞれ違った表情を作り出しています。
     ふとキャンバスの片隅を見ると、ベージュ色の一片のスペースが。
     それを見つけた時、やはり彼の絵は絵画であって、書道ではないんだ。
     彼は明らかに絵を描こうとしていたんだ、ということが、すとんと腑に落ちた、わかったような気がしました。

     私たち日本人は書道を観るとどうしても、それは何という字なんだろうと字を追っていこうとします。
     しかし日本の字を知らない外国人は、それをただの形、模様として見るのですね。
     フランツ・クラインも、書道の作品を見て、その白と黒のコンポジション、流れのようなものに強く惹かれたのでしょう。
     彼にとってはそれは筆運びではなく、あくまでも線、白と黒の分量などの配分の美、形としておもしろいと思ったんだな。
     だけど全体のコンポジションには、あのベージュの一片がなくてはならなかったんだ。だって、彼が描いているのは
     書道のまねではなく、あくまでも抽象画という絵画であったのだから。
     あのベージュの一片がそれを証明しているようで、彼の「これは絵画なんだよ」と言っている言葉のようで、
     私にはとても美しく、そして強いものに思えました。

     銅版画で抽象を始める前は、私にとって抽象画はただ見る、ただ目に映しているようなものでした。
     それは自分とは別世界の人がつくっているもので、見ても「ふ~ん」か「よくわからない」というもの。
     それが抽象を始めてから、自分が描くときに考えること、アイディアを探しているときに考えること、実際に手を動かして
     いるときに考えることが具体的に出てきたからでしょう。
     今まで別世界の人のものだったのが、自分の世界に入ってきたというか、それをつくっていた人を想像するように
     自然になってきました。
     それは自分でも、まったく思いがけない気持ちです。

     偶然にもこの美術館では、私が書道に描き方が似ているのではと思っているジャクソン・ポロックと、書道に影響を受けたと
     言われているフランツ・クライン、この2人の作品が同じ展示室にありました。
     左手にはポロック、そして右を見るとクラインというポジションを見つけ、そこに15分、20分ほども立っていたでしょうか。
     右を見たり、左を見たり、時々それぞれの作品に近寄ってみたり。
     そんなワクワクした思いを巡らしながら、ひとり妄想の世界で遊ぶ、至福の一時でした。

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美術館にいると、床も抽象画みたいに見えてくる(笑)

     最後の展示室に入ってから知ったのですが、この美術館では、受付で氏名や連絡先を指定用紙に記述するとシールがもらえ、
     これを洋服などに貼っておくと、館内で自由に写真が撮れます。
     もちろんこれを知ってから、再度受付に行きシールをもらい、もう一度館内をゆっくり一巡しましたよ。
     最後にはもう一度、ポロックをじっくり観て。

     この美術館だけで、4時間ぐらいいたのかなあ。
     ああ、ここにきてよかった。本当に楽しかった♪
     本物を目の前で観るということは、本当に強く、そして何よりも豊かな情報や感情を与えてくれるものだなあと感じた時間でした。
     
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by sakanatowani | 2012-10-28 18:27 | アート art | Comments(12)
   アンリ・カルティエ=ブレッソン展
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     最近ちょっとついてるみたい。嬉しいことがポツポツと、連鎖反応のようにやってくる。
     いろいろなことが行き詰まり、失望が諦めに変わり、それに粘っこくまとわりつかれているようなこの頃だったから、
     また希望が戻ってきたような気持ち。

     ことの始まりなのかな、と思うのが、先日行った、アンリ・カルティエ=ブレッソン展。
     ローマやミラノと違ってこの街では、あまりイタリア人以外の人の展覧会が開かれません。
     未来派の中心地でもあったという背景から、あってもモダン・アートのもの。

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     だから今回の展覧会はとても嬉しくて!
     前回彼の写真展を見たのは、もう20年以上も前かも。あはは、歳がばれますね^^;
     なんだか「今行かなきゃ」と思った月曜の午後、版画工房を早退して、会場の王宮へ。

     王宮の一画。白いパネルでバックをつくられた2室に、彼の写真がありました。

     実は今回、以前とは違う目で写真を見るだろうな、それはどういう刺激をもたらしてくれるのかな、
     という期待がありました。
     白黒の抽象画をやっている現在は、絵を趣味にしていた以前とは、違って見えるのではないかと思ったのです。

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     静かな空気の中、ひとつひとつ見ていく彼の写真。
     ああ、なんで彼の写真を好きなのか。今回よくわかりました。

     黒、グレー、白の割合とその位置が、私に心地いい場所にあるのですね。
     ここに一点、黒を置きたいな。ここに白の線があったら。
     そういう位置にはちゃんと、その色(明るさ)の被写体がある。

     この人は体にしっかりと「自分が心地いい構図、色(重さ)の配置」があり、それを瞬時に捕まえられる人なのですね。
     絵は自分で配置を変えればいいけど、写真ではそうはいきませんから。モデル撮影でない限り。

     黒の美しさが、私をとてもひきつけました。

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     残念ながら、私がいちばんひかれた写真はハガキになっていませんでした。
     『真夜中のミサ』(という題名だと思うのですが。イタリア語ではmessa di mezzanotteでした)という写真の色の配置、
     特に黒の使い方が、私に強く残りました。

     黒いケープを羽織った3人の年老いた司祭が左下端におり、あとは祭壇なのか、テーブル状のものがしめている
     という写真。
     近くにいたイタリア人の女性が、「薄気味悪いわ。これはすごく薄気味悪い」と、司祭たちの顔を指さして
     繰り返し言っていました。

     その女性、その隣にあった、人々に囲まれたある枢機卿(カトリックにおける司祭のかなり上級の位)の写真を見て、
     「この人はとても権力を持っているのよね。とてつもない権力をね」と、連れの女性にささやいていました。

     宗教と暮らし、その中で生きている人の言葉だなあと思いました。

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     人によって、見えるものは様々。

     写真に写っているものを見ていた20年前とは違う新しい目で見た彼の写真は、「心地いいもの」をつくりたい
     という私に、いいものを見たなあという感情を与えてくれました。

     自分が心地いいものを知っているということと、それを表現として出していけるかということはまた別。
     心地いいものを表現していけるように、いい気持ちでいることを大切にしたいです。

     今日のプランター
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by sakanatowani | 2012-06-02 16:59 | アート art | Comments(4)
   チャリティ展覧会
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     ガザの子供達を支援するチャリティ展覧会に出品します。
     
     10月22日(金)〜11月1日(月)
     Sala Valfre' - associazione S. Filippo
     Via Accademia delle scenze, 11, Torino
     (トリノ・エジプト博物館の向い側です)

     毎日16時〜20時(10月25日・月のみ休館)

     オープニング・パーティ 10月22日(金)18時30分より

     これは、ナジャ(Najdeh)(イタリア語)という、パレスチナの女性、子供達を支援する団体が主催で始
     まった、ガザの子供達を遠隔養子として援助するための資金を得るための活動です。
     今年の春、ミラノで第1回を行ったこのチャリティ展覧会も、第3回目となりました。

     イタリアのノーベル文学賞受賞者ダリオ・フォ(Wiki)をはじめ、イタリアで活躍しているイラストレータ
     を中心に、100名が作品を団体に寄贈し、その売り上げ金を寄付します。
     作品は、作家の有名・無名を問わず、その作品の大きさで金額が決まっています。

     今年春のミラノの展覧会では、オープニングに700名の方が来てくださり、最終的には7000ユーロの寄付
     が集まったそうです。
     参加者は、イタリアではかなり有名な方も多いそう。ですので、見ごたえのある展覧会になると思います。

     私はこの活動を、この町の絵本専門店で行われていた「お話しの研究会」のようなものを通して知り、
     私でできることがあればと、ミラノに次いで今回も、エッチング作品で参加します。
     知り合いのイラストレーターたちも参加しているので、みんなの作品を見るのが楽しみです。

     もし、お近くにお住まいの方で、お時間がある方がいらっしゃったら、ちらっとのぞいてみてくださると
     嬉しいです。
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by sakanatowani | 2010-10-17 18:39 | アート art | Comments(4)