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   2度目のコンクラーヴェ 1
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     これを書き始めた日曜日、雪が。
     このところ北ヨーロッパに来ていた寒波が、やっとここにも雪を降らせたよう。
     今年の冬は雪が少なかったので、3月の雪でも嬉しいです。
     牡丹雪だったり細かかったり。湿った雪のようで積もりこそしませんでしたが、とうとう今日丸一日降り、
     翌日も午前中はたっぷり雪。
     今日は午後から急に太陽が出て、春のような日差しが戻ってきました。


     2月11日の美大での昼休み、友人たちと構内で、パニーノなどの簡単な昼食をいつものようにとっていたとき、
     そばを通った教授が声をかけてきました。
     「教皇が辞職したよ」

     ふだん、生徒にはあまり気軽に声をかけない教授が声をかけてきたこと、また、教皇が存命中に辞職することが
     できるとは思ってもいなかったことで、びっくりしたのです。
     私ははじめ、この「辞職」という言葉がわからず、一緒にいたイタリア人の子が「辞めたのよ」と言ってくれて、
     状況を理解しました。
     
     やっぱりみんなの最初の疑問は「なぜ?」で、そのとき教授は「体調が良くないから」と説明。
     そしたら一緒にいたドイツから短期留学で来ている子も、そこで事情がわかったよう。
     すぐに「恥だわ」と言ったのが印象的でした。
     当時の教皇は、ドイツ人のベネディクト16世でしたから、ドイツ人の彼女は感じるところがあったのでしょう。

     でも私はそのとき、責任ある仕事を十分に遂行できる状態にないのなら、辞職して後継者にその仕事をきちんとできる
     権限を渡すという責任感というのもありだと思ってしまったのですね。
     思わず「高齢で世界中を飛び回るのも大変だし、それもありだと思う」というようなことを言ってしまったのです。
     そしたら教授は、「教皇の仕事なんて、○○よりもらくだよ」と、ごくふつうの仕事と比べて(何の仕事だったか失念)
     言って、ぷいっと行ってしまいました。

     そこではっとしました。カトリック教徒でもなく、まして信仰があるわけでもない私が、出過ぎたことを言ってしまった。
     口数少ない教授が口を開いたのだから、彼にとっては重要もしくは心を揺さぶる出来事であったはず。
     考えなしだったなと後悔しました。

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今回の記事の写真は、イタリアの公共テレビRaiの画面から撮っています。


     翌日、例のドイツ人の子が「ねえ、ここの美大の教室には、どこにも十字架があるけど、違和感はない?」と聞いてきました。
     私はシンプルな十字架しかないプロテスタントの幼稚園に通って以来、時々教会に通うこともある程度。
     教会は心静かになる場でもあるけれど、ここカトリックの国に来て、聖人画などのおどろおどろしさ(殉職の原因に
     なった拷問を描いていることが多いので)にびっくりした時期を過ぎ、この美大の各教室にある十字架も、
     もう見慣れたものになっていたのです。

     ドイツでは、宗教と教育はまったく分けられたもので、教室に十字架が掲げられることはなく、もし教室に十字架が
     あったら嫌な気持ちになる人もいるだろうとのこと。
     彼女も教室の十字架には違和感を感じると言います。
     そういう彼女ですが、ここの教授とはすでに、お互いの宗教のことなども話したそう。
     こういうことを通して、宗教がある人とない人の感じ方や受け取り方の違いを感じますね。

     教授の口から「君たちはカトリックの影響を受けていないからうらやましいよ」と言われたことはあるものの、
     積極的に教授と宗教の話をするなど考えたこともない私が、図らずも、ヴァティカンのあるイタリアで、
     2度目のコンクラーヴェを見ることになりました。

     そんなわけで、ふだん宗教や政治など微妙な話題は書かないようにしているのですが、今回は特別な出来事なので、
     ちょっと書いてみようかと思いました。
     でも、信者でもない私が、テレビや周りの人を通して私が見た様子、というものです。

     考えてみたら、以前、短期間ですがカナダのトロントに住んでいた時、当時の教皇ヨハネ・パウロ2世がカトリックの
     世界イベントでトロントを来訪。その模様をテレビで見ていました。
     その後2010年には、トリノにある聖骸布(キリストの遺体を包んでいたと言われる布)が公開され、その際に
     ベネディクト16世がトリノを来訪。
     意外に教皇の話題を身近に耳にすることが多いのです。

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世界でいちばん注目された煙突ですね。

     ヨハネ・パウロ2世のお葬式の様子はテレビで見ていましたが、この時のコンクラーヴェは、あとで黒い煙、
     白い煙の写真を新聞で見た程度。
     今回初めて、テレビで新教皇がみんなの前に姿を現す場面を見ることに。

     日本では、またその他の世界の国では、どんなふうに伝えられたのでしょう。







     今回のコンクラーヴェは、喪に服す期間がないこと、またキリスト教の大事な祝日パスクワ(イースター)が3月末に
     なることから、異例のカレンダーで、2月12日からと決められました。

     2月12日(火)
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番組のタイトル。この後サン・ピエトロ寺院の後ろから光が射し、全体が朝の様子になって終わります。

     私が見ていたのは、夕方6時半からのコンクラーベ特別番組。
     ヴァティカン研究家の司会で、アシスタントのアナウンサー女性、ジャーナリストとシスターがゲストという構成で、
     毎日30分の予定でした。

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     この日はコンクラーヴェ初日ということで、会場となるシスティーナ礼拝堂に枢機卿たちが入って行く様子などから紹介。

     たしか前回のコンクラーヴェの時、イタリアの新聞で、「コンクラーヴェはこう行なわれる」というような記事が、
     何ページも渡って、図解も満載に掲載されていて、「ああ、イタリアの人でも、詳しくは知らないもんなんだな」と
     思った覚えがあります。

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     こちらに来てから気づいたのですが、ミサの種類などによって、明るい緑や紫、白など、神父さんの衣装の色が違うのです。
     それ以来、テレビやミサで見るたびに、ついつい衣装に見入ってしまいます。

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     それぞれの枢機卿が、聖書に宣誓をして、コンクラーヴェ会場に入ります。

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     システィーナ礼拝堂と言えば、いつもは観光客でいっぱいの場所。
     私が以前訪れた時も、人がいっぱいでぎゅうぎゅうの中、みんなが上を見て写真を撮り、そのすきを狙って
     スリがあとをついてまわる様子がありました。
     「神聖な場所でスリか・・・」と、なんだか驚いたような、でも自分もそこをただ見に来た観光客のひとりなんだな
     という、ぎこちない感覚を覚えています。

     枢機卿が並ぶ礼拝堂。
     「これが本来の礼拝堂の姿なんだなあ」と思いながら、テレビを見ていました。

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     ミケランジェロのデザインの制服を着たスイス衛兵に守られて、礼拝堂の扉が閉められます。
     今回調べてみたら、この制服は、20世紀の初めに定められたものなんですね。「ミケランジェロの」と放送ではいつも紹介されますが、
      やはりイタリア人の誇りなのでしょう。


     午前と午後2回ずつの投票が行なわれましたが、新教皇は決まらず。
     雨の中、サン・ピエトロ広場を埋め尽くした人たちは、黒い煙を見ただけでした。

     とても長くなりそうなので、今回はここまで。続きは後日。
by sakanatowani | 2013-03-19 07:27 | ひびのこと diary
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