不思議な出来事
     市場に行こうとバス停に向かって歩いていると、「すみません〜」と声をかけられた。

     日本では勧誘なんかは無視して歩き去る人が圧倒的だけど、イタリアでは、最後は結局断るにしても、
     みんなけっこうちゃんと話を聞くんだよねえ。
     なんて考えが頭を一瞬よぎり、ふだんは絶対にしないイタリア式で今日はいってみようかという気になって、
     (また新興宗教の勧誘かしらん)と思いながらふと見ると、声の主は、私より小さな人。

     ほぼ真っ白な髪を低めのシニヨンに結って、淡いピンクっぽいスーツにブルーグレーの模様のスカーフをした、
     ふっくらとしたかわいいおばあちゃま。

     ああ、しまった。やっぱり新興宗教の勧誘だ。でもふたり組でもないし、パンフレットも持ってないなあ。
     そうとまどう私に向けて、このお婆ちゃまが口を開く。

     「あのね、お願いを聞いて下さる?
      あの家にね、この袋を渡してきてくれないかしら」

     え?

     「○○というそこのお家。
      私は姿を見せない方がいいの。
      だからお願い。この袋を『アドリアーナのかわりだ』といって渡してちょうだい」

     そう言って、彼女は私に小さな紙袋を手渡した。

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     彼女が私に声をかけたのは、ある家の前。
     ここらへんでは珍しく塀がなく、生け垣がうっそうとしている家。

     あまりの唐突な思いがけないお願いに、「いいですよ」と言いながらも不思議というかシュールな気持ち。
     見知らぬ人。しかも明らかに外国人の私が袋を渡して、気味悪がられないかしら。
     そんなことを考えながら、その家のインターホンをならす。

     「はい。どなたですか?」男性の声。
     「アドリアーナのかわりに、袋を届けに来ました」
     「ちょっと待って下さい」

     おばあちゃんは、その家の生け垣に隠れるようにして、私の様子をうかがっている。
     「出て来るって?」そう、おばあちゃんは小声で私に聞く。
     私が「はい」というと、満足そうにうなずきながら、「コーヒーをごちそうするわね?」と。
     それには「いいえ、けっこうですよ」と答えながら、またしばし待つ。

     「はい。どなたですか?」インターホンから今度は女性の声が聞こえる。
     「アドリアーナのかわりに、袋を届けに来ました」
     「・・・ああ。わかったわ。出ていかせます」ちょっと嫌そう。

     ガチャ。今度は門の鍵が開けられた。
     こちらの家は、室内のインターホンについているスイッチから外の門の鍵が開けられるのだ。

     見知らぬ人の家の門をそ〜っと少し開け、玄関への通路に一歩入ってみる。
     左には小さいがうっそうとした緑の庭があり、玄関の扉前には数段の階段がある。

     ハエが何匹もぶんぶん飛んでいてうるさい。
     なんでここにだけこんなにいるんだろう。

     待っているが、誰も玄関には出てこない。

     しばらくすると、玄関横の開いた窓に人陰が。
     「そこにいるの?」

     玄関ポーチの柱に隠れて誰か見えないので、思いきってあと数歩前に。
     すると玄関横の窓から、真っ白な髪を高く結い、きれいな明るい水色のカーディガンを羽織ったおばあさんが
     こちらを見ている。さっきの声とは別の人だ。

     「こんにちは。あの、アドリアーナのかわりにこれを」
     そういって私は袋をおばあさんの方に差し出す。

     「サインをした方がいいかしら?」とおばあさん。
     「いいえ。あの、あそこのシニョ−ラに頼まれたので・・・」と、自分の後ろ、おばあちゃんのいる生け垣の方を
     指さしながら、ちょっとしどろもどろになって説明する。

     「じゃあ、さようなら」
     「さようなら。ありがとう」

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     自分が何をやっているのかよくわからないような、ぼんやりとした気持ちで門から出ると、
     さっきのおばあちゃんが手を胸の前で合わせながら「どうもありがとう」と言う。

     「いいえ、どういたしまして。じゃあ、さようなら」
     「さようなら」

     そう言って数歩してから振り返ると、おばあちゃんは私ににこにこ微笑みながら、大きな投げキッスをした。


     イタリア社会は、人はもともとだますもの、だまされた方がバカなんだという社会だと感じる。
     だから他人は疑ってかかるのが基本だ。
     でも時々こういうふうに、見知らぬ私をいい人だと信じているかのように接触してくる人に出会う。
     もし私が悪い人だったらどうするの?
     たまたますれ違っただけで、こんなことを頼んじゃって・・・。(イタリア人として)大丈夫?
     そんな気がしてしまう。

     日本は、みんなよい人だと私たちは一般的に思っている社会だと思う。
     でも、たまたますれ違った人にものを頼むようなことはしないだろう。
     そんなことをしたら、頼む人も、頼まれた人も、お互いに相手を「なんなんだろう、この人?」と疑う、
     不審に思うんじゃないだろうか。
     見知らぬ人が届けものといって、自分の家の敷地内に招く人もいないだろう。

     こんなところがイタリアと日本、考え方が逆転してるなあと思う。

     おばあちゃんに頼まれた紙袋には、「キアラへ」と書かれた紙がはりつけてあった。
     頼んだおばあちゃんがアドリアーナで、受け取ったおばあちゃんがキアラなんだろうか。
     どうしてふたりは会って渡せないのだろうか。

     キアラおばあちゃんは紙袋を受けとっても嫌な顔はしなかった。
     ということは、ふたりのおばあちゃんの間に何か問題がある感じではない。
     じゃあ、キアラおばあちゃんの家族、あのインターホンに出た人たちが、アドリアーナおばあちゃんに
     キアラおばあちゃんが会うことを嫌がるのだろうか。

     喜怒哀楽の感情は出すもの。
     嫌だったら嫌だって言うし、そういうのはまわりも巻き込んで態度も出すもの。
     そういう人たちだから、ここでは家族の感情渦巻くドラマに事欠かない日常だ。

     アドリアーナおばあちゃんとキアラおばあちゃんをめぐる人間関係にも、そういうドラマがあるのかしら。
     でも、ここで「ふつう」の考え方は、私には想像を絶する考え方だったりすることも多々あるから
     イタリア人はわからない。まあ、それはお互いさまだと思うけど。
     だから真実は、私の想像とはまったく違ったりするんだろうな。

     あのおばあちゃんたちが実はものすごいワルだったりね(笑)
     そして私は、面倒な感情ドラマに巻き込まれていたのかも?
     はっ!そうか!人を簡単に信じ過ぎるのは私の方かも。だからふだん思いもかけない面倒によく巻き込まれるのかも(汗)




     『パルプ・フィクション』を久しぶりに見た。
     そうだ。そうだよね。
     これでいいんだ。こうでなくっちゃね。

     最近、事実とは違う他人から見る私像や、眉間にシワを寄せてさも難しくも崇高なものかのように話される
     コンセプト・アートに、無意味に振り回されていたかも。

     私には私の考え、コンセプトがあって、試行錯誤しながらその世界をつくっている。
     それはまぎれもない事実。
     揺るがされてはいけない。信じることをやっていけばいいんだ。

     ああ、それにしても『パルプ・フィクション』、こんなにすごい顔ぶれだったんだなあ。
     楽しそうにつくってるなあ。

     そしてクエンティン・タランティーノの顔が、美大の(最近憎々しい)教授に似ているのを発見。
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by sakanatowani | 2012-05-25 17:46 | ひびのこと diary | Comments(0)
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