死者の日と全聖人の日
     朝、目を覚ましたら10時。うわ〜、こんなに寝ちゃった〜!と思ったら、実際は9時でした。
     イタリアは、夕べのうちに1時間戻って夏時間が終わり、今日から冬時間(?)になったのです。
     すっかり忘れていました。
     それにしても、こんなに「落ちついて寝たな」っていうのは1か月ぶり。
     しかも朝の時間もまだあるっていうのが、なんだか得した気分です。

     イタリアでは、毎日に、何人かの聖人の名前がついています。たいていは、その聖人が殉職、
     つまり処刑された日。それを知った時は、ちょっと無気味な気持ちがしましたっけ。
     しかし、1年のうちいくつかは、聖人の名前でない日があります。
     そのうちのふつかが、10月31日の「死者の日」と、11月1日の「全聖人の日」です。

     全聖人の日は祝日なのですが、死者の日はふつうの日。
     でも、ふつうのイタリア人の生活の中では、この「死者の日」の方が、生活に密着している気がします。
     こちらでは、そのあたりにお墓参りに行く習慣があり、いわゆる日本のお彼岸のような感じだからです。

     今住んでいる街の北と南に大きな墓地があるのですが、墓地を通るバスはこの10日前ぐらいから増便され、
     花屋さんにはお供え用の小さなブーケや、菊の鉢が並びます。公園の植え込みでも菊、菊、菊。
     そう、イタリアでも菊の花は、亡くなった方に供えるもの。でも日本ほどその境目はっきりしておらず、
     菊の花を混ぜたふつうのブーケもありのようですが。
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     この時期ならではのお菓子というのもあります。
     残念ながら今の街にはそういうお菓子がないのですが、以前住んでいた中部イタリア、ペルージャには、
     死者の日あたりだけに食べられる「ファーヴェ・デイ・モルティ Fave dei morti(死者の空豆)」
     というお菓子がありました。

     この死者の空豆、アーモンドの粉がたくさん入った、軟らかめのクッキーで、空豆型をしています。
     古代ローマでは、空豆は、死者の聖なる食べ物として考えられていたそうで、そこからこのお菓子が
     生まれたのだとか。
     私はこのお菓子が大好きだったので、今では食べられないのが残念です。
     たぶん以前はここにも死者の日のお菓子というものがあったのだと思うのですが、もう街のお菓子屋さんに
     そういうものを見かけません。近郊の小さな町、村などでは、まだあるのかな。
     あるのならどんなものなのか知りたいなと思います。



     夕べ遅く、私より前からこの家に住んでいる唯一の同居人Rのお母さんが、南イタリアから到着しました。
     大きな大きなボストンバッグいっぱいに、息子の好物を詰め込んで(笑)
     Rは夕べはバイトの遅番で帰宅が真夜中になるので、お母さんが到着したら、家の扉を開けるように
     私に頼んでいったのです。

     夜中に街にくり出す予定の10月からの新同居人Dとその友人はまだ家におり、Rのお母さんに挨拶と
     ちょっとした会話をしてさっさと自室へ。
     私はRのお母さんをひとりにしておくのも悪い気がして(←日本人だなあ)、彼女が息子のために持参した
     手料理をひとつひとつ説明しながら冷蔵庫に詰めていくのを手伝っていました。
     そして息子の部屋に入ったお母さんがまずしたことは・・・ベッドのシーツを交換すること!(爆笑)

     彼の部屋のベッドはダブルサイズなのですが、「汚いところに寝たくはないから、自宅から代えのシーツを
     持ってきたのよ」と、ふだんは先生をしているというこのお母さん、テキパキと息子のベッドのシーツをはがし、
     持参のシーツに代え始めました。そこにいた私も自然に手伝うことに。
     私はその様子に大笑いしていましたが、実は私もその気持ち、ものすごくわかるのです。
     私もこの家に引っ越してきた時、まずはとにかく念入りに、部屋中を磨きましたから^^;
     私は特にきれい好きではないですが、こちらの若者の適当すぎる掃除には、やっぱり我慢できない。
     せめて自分のテリトリーだけはきれいにしたいなと思って。

     その後このお母さんがしたいことは、そのシーツを洗うこと!
     「そしたら明日には乾いているでしょうからね」って。う〜ん、わかるわかる^^。
     それを知った新同居人Dは、うんざりしたような冷たい視線で見ていたなあ。
     そうでしょうね。彼女、本当にいろんなことにいいかげん。でも自分がいちばん正しいタイプなので^^;
     どちらかというとRのお母さんの気持ちの方がわかってしまう私が、彼女らの行動をいらつきながら見ている
     のも仕方ないのでしょうね。

        *    *    *    *    *    *    *    *    *   

     さて、月初めから続いていた新同居人2人との攻防も、私の中では一応小さな決着をつけました。
     新同居人Dは何をやるにも雑、電気やガスの無駄遣い、もうひとりの新同居人Iはまるで自分が家の中
     すべてを決めるかのような態度+私を無視という状態に、はじめは前向きに考えて努力を続けていましたが、
     もちろん相手の態度は変わらず、一時は自分の居場所がなくなってしまったかのような気分で、
     苦しく思っていました。
     しかし、自分は何も悪いことはしておらず、以前から住んでいた者として主張していいんだと考え直し、
     この金曜日の朝、毎週末、電車で4時間かかる実家に帰るIをつかまえ、相手のどの行動で、自分がどう
     嫌な気持ちを感じているかを説明しました。

     「言わなければないことになってしまうから言わないといけない」というこちら式のやり方です。
     この方法は私にはしんどいけど、言わないといいようにやられてしまう。
     もちろん、Iの無神経な行動を本人が無神経だと思うわけがなく、こっちの言い分を理解することもできない
     ようだし、するつもりもないよう。
     でも私は自分にできることをすべてしました。
     あとは相手がこちらのことを理解しようという繊細さがあるかどうかの問題です。これはDにしても同様。
     これで相手が態度を変えればよし。よほどの暴挙に出てきたら、今度はがっちり言って冷戦です。
     (↑今回のこと、ちょっと相談したイタリア人の同い年ぐらいの友人は、「私ははじめからそうなっちゃう
     のよね」と言ってました)。
     そうでなければ、もう無視されようがなんだろうが、こちらも平気なふりして生活していくつもりです。
     あきらめと鈍感になること。それがこちらの共同生活の中で、自分の生活を守るひとつの手段です。
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by sakanatowani | 2011-10-30 22:03 | 季節のこと season's
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